スポンサーサイト

Category : スポンサー広告
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

私の東京~外部記憶装置~

Category : 私の東京
こんばんは、シリーズ第六回の更新は僕、わたしまが務めさせていただきます。

小林さん、バトンしかと受け取りました。ちょっとこのバトン重たい気がします。気のせいですか。

皆のエントリー楽しく見ています。僕のも楽しんでもらえれば幸いです。
 
----------------------------------------------------------------------------------------


私の東京とは何なのか

そもそも「私」と「東京」という言葉をそれぞれどう捉えようか。僕はそこから考えてみました。

私というのは、今の渡島隆弘のこととします。


東京というのは、大きな全体のイメージと考えます。

僕は、東京をある特定の東京内の地域に代表させられないのです。
小学校三年生からずっと過ごしてきた西東京市について、つらつらと書く事も考えました。
でもそれでは私から西東京へのラブレターになってしまい、東京への愛は伝わらないのです。


結果、なんとも奇天烈なアプローチをすることになりました。

僕にとって東京は外部記憶装置です

・・・?ですよね。
IMG_1349.jpg
(東京の代表、新宿で撮った写真)


説明していきます。

そもそも外部記憶装置とは
「コンピュータ内でデータやプログラムを記憶する装置。ハードディスクやフロッピーディスク、MO、CD-R、磁気テープなどがこれにあたる。磁気的に記録を行うものが多いため、記憶容量が大きく、電源を供給しなくても記録が消えないという特徴があるが、動作が遅く、CPU(中央処理装置)からは内容を直接読み書きすることができない。コンピュータ内にはこれとは別に、半導体素子を利用して電気的に記録を行う主記憶装置(メインメモリ)が装備されており、利用者がプログラムを起動してデータの加工を行う際には必要なものだけ主記憶装置に呼び出して使い、長期的な保存には外部記憶装置が利用される。」IT用語辞典 e-Wordsより
http://e-words.jp/w/E5A496E983A8E8A898E686B6E8A385E7BDAE.html


何となく分かってもらえましたか?
僕はこの概念の大部分が都市に、つまり東京に当てはまると思いました。

別の言い方をするならば、
東京は超巨大な記憶の物置である、とでもなるでしょう。


ある日ふと思ったのです。

東京は外部記憶装置として機能しているのではないか。 

少し興奮しました。中々変なこと思いついたな、と。

でも、なんてことはない。

元ネタはインプットされていてそれがたまたま意識に上がってきただけでした。

元ネタは押井守監督作アニメーション映画「イノセンス」内のある台詞でした。

それがこれ

「生命の本質が遺伝子を介して伝播する情報だとするなら社会や文化もまた膨大な記憶システムに他ならないし、

都市は巨大な外部記憶装置ってわけだ。」

ハードボイルドですね。

この作品を見たときはそこまで気になった台詞だったわけではないのですが、

なぜか記憶の海の底にずっと沈んでいました。



次に記憶の外部化について説明します。

調べてみると、記憶の外部化は人間存在とそれ以外の動物を隔てる大きな特徴だと分かりました。

人間は内だけではなく外に記憶する方法を手に入れたのです。

始まりに言葉が、次に紙が、そしてネットの誕生以来、

加速度的に発展を続ける電子機器が外部記憶装置として人類の発展に大きく寄与しています。

言葉は概念を生み、共通の認識を人々に与えました。


例を出すと、

りんごは本来1つとして同じものはないけれど、僕たちはりんご全体について話が出来る

ということです。

人間の手によって作られたもの(人工物)全てには概念があります。

概念があるということは共通の認識があるということです。

人工物の親玉って何だと思いますか。 そう都市です。

都市=概念の塊=共通の認識が存在することの証明、なのです。


つまり都市の存在を認識できるということは、僕たちが人間であることの証明ではないでしょうか



だから東京には人が集まる。そんな風に思えます。

話が逸れてしまいました。

次に個人レベルで、東京が外部記憶装置とはどういうことなのか説明させてください。


上にも書きましたが一番分かりやすい比喩が物置だと思います。

物置の中身って普段使わないから物置の中に入れちゃいますよね。

でもふとした拍子に見てみると、


こんなものあったのか


というように発見に伴って一気に色々なことを思い出しませんか?

都市が物置で記憶が物置の中に入れられたモノのイメージです



あなたにもありませんか、

ふとした拍子に頭の中で映画が早回しされるみたいに、記憶が意識上に一気に溢れ出てくること。

水の中の気泡が水面に唐突に上がってくるとか、
草むらから急にポケモンが出てくるとか、言ってもいいかもしれません。

あれはあなたが都市という外部記憶装置に接続し、瞬間、記憶を呼び覚まされているのです。

そして、その思いされた記憶は写真を見たりなどしたときよりも

彩度が強い(五感や感情が強く含まれた)ように感じませんか。

思い出したというより戻ったように感じられるほど。

これは都市には行為の残像が保存されているからではないでしょうか。

その残像を見たとき、つまり、何かの記憶を東京に思い出させられたとき、

僕はすごく激しい感情に襲われます。悲しいとか悔しいとか特定の感情ではなく、

ルーズリーフにボールペンで描いた黒い渦のような感情の固まりに飲み込まれてしまうのです。

眩暈がします。まだ上手く言語化できないのですが死の気配を感じるとあえて言わせてください。

そしていつもそれらの記憶は言うのです。


「もう戻れない。進むしかないのだ」と。



最近、記憶を引っ張りだされたのは高校時代を過ごした練馬区大泉周辺を久々に訪れた際です。

変わらない景色に変わっていく自分を突き付けられました。

他にも例を挙げようと思えば挙げられるのですが、割愛します。



また脱線ですが、気になるので聞かせてもらいます。

あなたは何かが変わったことに自分が変わったことを感じますか。

それとも何かが変わらないことに自分が変わったことを感じますか。 
僕は後者です。



もうすこし変なことも考えてみました。

東京って日本でもっとも人、モノ、情報、が集まってくる場所ですよね。

それなら人の持つ記憶も無尽蔵に集まって来ますよね。

人の数だけ記憶があり、同じ記憶は一つとしてない。

多くの忘れられていく人、モノ・情報、そして記憶は持ち主を離れて東京に際限なく記憶されていく。

忘れられることで記憶される。

自分の記憶を思い出したと私たちは思っていても、実はその記憶には、

都市に記憶されている他者の記憶も含まれている。

そんな可能性はないでしょうか。

だからこそ思い出されるのは特定の感情ではないし、映画の早回しのようにたくさんのコマ数があると。

あなたの記憶も何処かの東京で誰かが思い出しているかもしれませんね。

こんな風に僕は東京について考えています。


もう一つ、すごくSF的なお話を。

私たち自身も何かのための外部記憶装置かもしれない


人から都市に都市から文明に文明から地球に記憶は蓄積されていて、

地球は何かのための一つの外部記憶装置として存在している。

これって絶対有り得ないとは言い切れないのではないでしょうか。


----------------------------------------------------------------------------------------

僕はこれからも今まで同様、色々なものを経験して、色々なものを忘れていってしまうでしょう。

大切なものも、嬉しかったことも、悲しいかったことも。

でも僕が忘れてしまったとしても、東京が覚えていてくれます。

そしてふとした拍子に、はるかはるか僕をもう戻れない日につれていってくれます。

そして僕は前を向いていこうと思うのです。




きれいにまとまった・・かな

何だかすごく抽象的な話になってしまいました。秋の夜長ということでご容赦を。
最後に

この僕の言っている感覚のことを歌っているのかなという歌が

宇多田ヒカルのPassion です。
参考 http://www.youtube.com/watch?v=kWoJLdXJt0E

僕の書いた文を読むよりしっくりくること請け合いです笑。絶対見て下さい。

そしてぜひ感想聞かせてください。
拙文にお付き合いくださり有難うございました。
次は中尾さんです。しくよろでぃす!
スポンサーサイト
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。