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私の持ってる百合(に対する私見・作品)

Category : 「私の持ってる××」
 
 こんばんは。
 ツィッターで『××』部分を募ったところ僅か10分で案の定性癖という意見が(2通も)返って来て、半笑いのまま目からハイライトが消えた後藤です。

 ゼミブログ2週目にして自身のヰタ・セクスアリスに関するチョメチョメを赤裸々暴露などというレジェンドをやらかす気は無いので御安心下さい。
 
 しかし(性癖の使い方が違うという国語の先生な意見は捨ておいて)彼らの様な脳味噌が睾丸に直結している方々の意見も完全に無駄になった訳ではありません。(前回も申し上げた通り頭の堅い私は咄嗟に「私の持ってる本かCDでいっかなー(馬鹿)」と軽ーく禁じてof禁じ手sを思いつきましたが、笑顔で指をポキポキさせるゼミ長の姿が頭を過ぎったのでやめました。)

 変態性癖(フェティシズム)からは遠ざかりますが、今回の記事は今のところ私の趣味生活の大部分を締めている私の持っている百合(に対する私見、及びそれを主題とする作品)について書き散らすつもりです。







【百合に対する私見】

百合についての私個人の偏見を並べると以下の条件が挙がると思われます。

実を言えば今もって個々の受け手によって定義が変わる実態不明な言葉ではありますが、取り敢えずは私(二〇歳、男性)の中で必要とされている要素を書きます。

【追記】ここで述べる『百合』とはあくまで「創作の一ジャンル」としての語です。そのため、以下の要素が当てはまる現実の関係性への定義付けとは切り離して記述している事を明記します。【ここまで】


 一、社会的若しくは生物的に女性である主体同士の強い精神的な結び付き

 二、 主体同士に同性愛としての恋愛感情が発生する必要は無い。【追記】このため、客観的に友情であると取られる描写もこの語の要素に含まれる事もある。【ここまで】

 三、 肉体的な接触は必要要素ではない。
(ただしこれを含めた場合、百合の定義を外れるとする意見もある)

 四、 一・二・三を含む関係性に対する主体の心情が細やかに描写されている必要がある。
【追記】細やかさの程度には諸説あるが、私は「内語」「表情」など、言語として表出しない表現を多用する傾向がある様に思う。【ここまで】

「四」に於いて心情【描写】という語が示す通り、上の駄文はある【創作作品】が百合であるかを定義する時に用いられます。

【6.29修正】現実の女性同士にも「一」は様々な形態を以って発生しますが【修正終わり】「二、三」を私の主観から観測するには手間がかかるため、今回は創作作品のみに適用される定義を並べました。


【追記】『セクシュアリティの多様性と排除(2010年 明石書店)』に於いて堀あきこ氏がボーイズ・ラブ愛好者を『「強い愛を描く手段」として同性愛が持ち出されているだけであり、同性愛、また同性愛者は関心事ではないのである。』と分析している。あくまで私見であるが、一部の百合愛好者にも同様の他者化構造が見られる様に思う。
また余談だが、この「強い愛が描かれている関係性が重要である」という他者化構造をこじらせたボーイズ・ラブ及び百合の愛好者の中には「どっちもイケる」とか「何でも(無機物、無生命同士の関係性まで)イケる」と自称する者が稀にいる。【ここまで】


「え?百合って・・・花、の?」なんて言ってくれちゃう可愛い方々のために簡単ながら百合について並べ立てました。
こんな駄文を(もし万が一弾みか何かの間違いで)お読みいただき、ありがとうございました。




【私の持ってる百合作品】

 書いてて自分で「何ここで後書き書いてんだ」と思いましたが、すみませんここからが今回の記事です。

 今日は【青い花】を御紹介致します。



【青い花】(漫画、アニメ) 原作:志村貴子
IMG_3953.jpg
アニメ版第1巻及び原作2~6巻+ファンブック(原作1巻は現在貸出中)

アニメ版主題歌「青い花」作詞・作曲 - 山崎ゆかり / 編曲・歌 - 空気公団
 
 百合に手を出すと一度は目にする、いわゆる金字塔の一つと言われています。

 十年振りに再会した幼馴染である「ふみちゃんとあーちゃん」の二人を主人公に、彼女を取り巻く少女達が紆余曲折を経て、まあその、様々な関係へ着地するまでがきめ細やかな内面描写と鎌倉の風景に彩られて語られます。

 語り尽くすには時間もスペースも足りないため九割五分は割愛しますが、この作品の魅力はまずに「きめ細やかな心情描写と清浄な雰囲気」です。

 割かし文学指向の漫画として位置付けられており、作者である志村貴子氏の『百合をファンタジーにしたくない』という同性愛描写に対する真摯な姿勢のため、端々に重苦しい影※が差しますが、その現実味を活かしつつ爽やかな雰囲気に仕立て上げている技量は見事の一言を置いて他に無いでしょう。

※例として、主人公が過去に従姉と肉体関係にあった事、主人公二人の同性愛に対する価値観のすれ違い等)

線がそれほど多くなく白が多い画面構成を始め、必要最低限かつこれ以上無い程に選び抜かれた言葉で織り成される台詞群などなど、原作を構成する様々な要素がこの「清浄な雰囲気」を醸成しています。

殊、後者には脱帽する事頻りです。私は百合に対して「行間に始まり行間に終わり、また言葉少なきは更なり。」という嗜好を持っているため、この漫画の雰囲気はど真ん中でストライクでした。


その最たる例が以下の見開きです。





 青い花の巻末には2巻から「若草物語」という短編が掲載されています。5巻は作中に登場する(同性によくもてる)杉本四姉妹の母親である千恵さんのお話です。

 娘達に負けず劣らず、学生時代に大層(同性から)おモテになられた千恵さん(右)は、ある日学友の苑子さん(左)から手紙を渡されます。

 普段からもてる千恵さんは「あなたまさか私のこと」と疑いをかけるも、その場で苑子さんから「ちがいます!」と一蹴されてしまいます。苑子さん曰く、友達の鈴原さんとの仲直りの橋渡しを頼みたいだけとのこと。

無題


 それから数十年後のある日、千恵さんは苑子さんの訃報を知ります。

千恵さんはあの日の手紙を思い出すと、苑子さんは鈴原さんを好いていたのではないかという考えに至ります。
 この場面はその後に「私のことを好きな子たちの筆頭があなただと思ってたわ」という千恵さんの一人語りの次に来る最後のページです。 


 高年齢の百合の真骨頂ではないでしょうか。老いて尚親友というのも勿論良いのですが、相手の死後に片思いに気づくとか、もう、もう!
 
 言葉も最小限、画面の構成要素も二人の人間だけです。しかしそこまでの流れからこの見開きを見た時の気分というのは筆舌に尽くし難い物がありました。


 この様な原作漫画の行間や絵の雰囲気を上手く活用したカサヰケンイチ監督のアニメ版も素晴らしいです。
あの幾原邦彦氏が担当しているオープニング映像だけでも一見の価値があると私は思います。

(ファンブック「青い花 公式読本」のインタビューと幾原監督のツイッターに於ける発言を比べると、このオープニング映像のコンセプトは昨年放送の『輪るピングドラム』のテーマにも繋がる部分があるようです。興味のある方は「青い花 公式読本」のインタビューを読んでみて下さい。)


さて、そろそろ時間が足りない事と当年取って二十になんなんとする無精髭の男が思う様百合について熱弁を奮って息を荒げ、挙句顔を両手で覆って悶えている事のとてつもない気持ち悪さに耐えられないため、この辺りで失礼致します。



※6月29日追記、及び修正

「仮に現実の女性同士に「一」が起こり得たとして」→「現実の女性同士にも「一」は様々な形態を以って発生しますが」

この部分に関しては修正前の文章のニュアンスが本来の意図から外れる物であった事をここで追記します。
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