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【第5回】宝石拾い

Category : 卒業にあたって


こんばんは、後藤です。
FC2に「おじさんだーれ?」(ログインするなら認証コードよこせ)と問われる事態により、更新が遅れました。

それはさておき、今回のお題は殊更難しいですね。
発想力の乏しさを嘆きながら、ひとまず月並みに大学生活をあらすじで振り返ってみようと思います。

4年間を通じて拠点はサークルでした。分けても1年の時は特にそうでした。
年3回の展覧会に始まり、部室でグダグダ、練習会、合宿、たまにお酒と、ひと通りの「キャンパスライフ」はあそこで体験していた気がします。
反対に、居心地が良すぎて他のコミュニティへ参加することを疎かにしていました。
1年の英語クラスに始まり、どうにも国際日本学部の明るさが自分には毒でした。なんか、「便所に100ワット電球はいらねーんだよ」とひねくれた事を言っていた気もします。
性格と言えばそれまでですが、今でも私は小綺麗なメディア棟や中野キャンパスよりも、歴史が感じられる(ようは小汚い)部室棟の方が性に合っているようです。

そうして狭い場所に閉じこもっている私が2年生の時に、はずみでイギリス留学に合格します。単純脳味噌なもので、エキゾチックな物に触れてハイになった私は、反対に色々な人と積極的に関わりを持とうとし始めます。

3年生になりました。今思えば、この頃が大学生活を通して一番脳味噌を活用できた時期だと思います。サークルに加えて宮本ゼミでの活動と、イギリスでの生活に負けず劣らず「自分と違う世界の人と関わる」事に全力を尽くす年だったと思います。
宮本ゼミでの思い出が増え始めます。夏のゼミ旅行に、各回みんな知恵を絞ったゼミブログ、前後期の発表等など・・・。
自分がアニメ、漫画、ゲームその他、自分が触れ得る「おたく的なもの」に閉じていると思っていた文化が外の世界と絡みつくほど近く、密に関わっている事を知る体験は単純脳味噌を大いに刺激しました。
そのおかげか、翌年には自分周辺の文化である「百合」を、社会の流れと関連付けるという行為に1年を費やす事となります。

エヴァの新作を観たり、知らない分野や友達と関わったり、3年生の時は本当に充実の1年だったと思います。そうして変に意識が鮮明になっていた私を叩き潰したのが就活でした。3年の冬から4年の夏ですね。

そこそこ良い所まで進み、尽く落ちるという作業を繰り返す内に、すっかり磨り減ったような気がしました。心をおろし金にかけるような日々でした。
留学から帰ってからこのかた、「コミュ力がついた」「メンタルが強くなった」「プレゼン能力がついた」と、実践を通した自覚と共にハイになっていたはずの私は、ポッキリ折れてしまいました。少なくとも2つ目は幻覚だったようです。
このブログをお読みになる方々も「そんな誰でも通るような道で折れるなんて、情けない」とお思いになられるでしょう。私もそう思います。今でも抜けきったかどうかは分かりませんが、人生と周りの人間を舐めきってきた証左でしょうか。

さて、実を言うとこの状態はついこの間の12月始めまで続きます。夏辺りから、就活とは別にショックが大きかった9月に追い討ちをかけられ、秋ごろまでの私はマイナス方向に振りきれて変なテンションになっていました。3年生の頃はプラスに振れていたはずです。ようは退廃思想ですね。

そうして薄笑いを浮かべてお酒とタバコを友達にして授業を尽くサボり、昼夜を逆転させていた私は12月を迎えます。

きっかけは何だったかよく分かりませんが、ここに来てようやくごく当たり前の事に気づきます。「時間は限られている事」です。

卒論の締め切りも、卒業展覧会の作品制作等など・・・。何もかも自分が無気力と倦怠から遠回しにしていた「最後の大仕事」の他、大学で経験できる「人生で一度きりのもの」には時間制限があることにようやく気づきました。

焦りに焦り、また落ち着き、という精神状態を繰り返し、私はようやくプラスに触れ始めました。
今しかできない、今だけしかできない、今がその時だと、自分に言い聞かせる事で、一度限界までマイナスに振れていた私は、12月の1ヶ月をかけて、なんとか1年生の時くらいまでは意欲を回復させる事が出来ました。回復方法は卒論と冬コミでのコスプレ、あともう1つは岡惚れです。
一度ついた逃げグセ、サボりグセを抜くのは容易ではないですが、「今がその時だ」「思い立ったが吉日」という言葉を常に浮かべて、リハビリに臨みます。


そうして焦っている内に、自分がこれまで逸してきた色々な機会を思い返すようになりました。
言葉よりは価値観、習慣の違いから引き篭もりかけたイギリス生活。あの時もっと早く自分を奮い立たせていれば、もっとたくさんの経験に巡り会えたんじゃないか。宮本ゼミでももっと話し込んでいれば、もっと深く自分の知らない価値観に触れられたんじゃないか。考えれば考えるほど、自分の手の届く距離にあった貴重な機会たちを、たかがちょっと心が折れたくらいで取りこぼしてきた事に、後悔が募りました。

ここまで書いた事そのままに、私が大学生活から学べたものを端的に記すと、「宝石なんてすぐそばに転がっている事」と「その宝石を拾える内に拾うべきである事」です。
その宝石を人が取りそうになったり、拾える機会を逸すると自覚する段になってようやく焦ったりするようでは、一端の成果も経験にもならない。小学生でも分かる事を、私はこの歳になってようやく実感しました。

しかしその御蔭で私は、未熟ながら論文を書く事もでき、不出来ながらコスプレまで作り上げ、更には人並みにフラれるという経験までできました。

宮本先生が最後に見せてくれたヨージックの姿は、私には身近な未知や機会に敏感であれ、貪欲であれという訓示のように思えます。

この記事を読んでいるあなたが私と同じように、心がポッキリ折れてしまっている人か、退廃的に無為な時間を過ごしている自覚がある人であれば、その時間が後悔にしか繋がらない事をどうか理解して下さい。
あなたが知らないだけで、あなたの周りには何だか個性的な光り方をしている宝石がバラバラ落ちているようですよ。

長くなりましたが、以上で私の「卒業にあたって」の記事を締めくくります。ヘッポコとは言えこの記事で何か(反面教師?)を感じ取ってくれれば幸いです。

次は佐藤さんです。よろしくお願いします。
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