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【第27回】「百合」と男性③

Category : 卒論日記
 こんにちは、後藤です。

 卒論日記も最終ラウンドですね。自分で決めたテーマとは言え、自分で自分にタオルを投げてしまいそうです。

 卒論発表会では、藤本由香里先生からも質問をいただくという(ちょっと予想はしていたけれど)驚きの事態に膝が笑ってしまいました。




 私は『「百合」を読む日本人男性の性意識変化の実例と実証』という題で、「百合」の男性読者による受容をお主な調査対象としていました。

 結論から書きますと、

 一、明確に「百合」として描かれる場合には「関係性の掘り下げ」」が重要視される傾向にあること
 二、「男性性」「男の視線」など、男性的な要素に対して漠然とした忌避があること
 三、同一化は少数傾向であること

が分かりました。

この結論の詳細として前回の卒論日記からの進展として

 ①mixiコミュニティに於ける男性読者と判断される書き込みの分析:「百合」を読む男性の分類と傾向の把握

 ②専門誌に於ける男性の「百合」著作分析:男性による著作の特徴を調べる

の二点をお話しいたします。


 ①mixiコミュニティに於ける男性読者と判断される書き込みの分析

 mixiにある「百合ヲタちょっと来なさいよ!」というコミュニティを調査対象としていました。登録者数5907人のmixi最大の「百合」コミュニティです。
 ここから男性の物と判断される(プロフィールで男性と表記されている、書き込みで性別を明かしている)書き込みを調査の対象としました。書き込みの中では、「好む作品の傾向」、「百合」に対する定義・価値観を主な分析対象としました。

 ここでの分析結果として、「百合」を読む男性が以下の様に分類されます。

 1.第三者視点:作中人物に自己投影せずに読む場合
  
  1-1.「キャラ萌え」タイプ:「百合」としての関係性よりも、2人(以上)の女の子に同時に「萌える」事を目的とするタイプ。
「百合」専門誌掲載作品よりも、「日常系」作品などを「男が不在のハーレム」として楽しむ傾向にある。
「百合」としてのキャラ同士の関係性に対する関心は小さい。関係性そのものではなく、1人1人のキャラに対して「恋してるこの子可愛い!」という視点と思われる。
  
  1-2.「関係性萌え」タイプ:「百合」としての関係性そのものに萌えるタイプ。
「百合」専門誌掲載作品を好む傾向にある。
また、専門誌以外の明確に「百合」とされない作品に対して、恋愛関係を補完して読む場合が派生する(やおいタイプ)。
 
 2.同一化タイプ:作中人物に自己投影して読む場合
作品は「百合」専門誌を好む傾向にある。関係性に対する関心が大きいが、(自身を投影するキャラとは別の)キャラへの「萌え」もある。
このタイプに対しては、読者の「男性性」に対する価値観が分類の鍵と考える。
・(マチズモ的な)男性性に対して、中立的(あるいは無関心?)であれば、作中の「女性」キャラクターへの自己投影は、「ヒーリングと異性化シュミレーション」[永山薫 『エロマンガ・スタディーズ』p.225]が伴い、これに伴う快楽を求めると考えられる(なお、この女性に対する自己投影を「ヒーリングと異性化シュミレーション」としたのは、エロ漫画に対する男性の視点を解説した時のもの)。
・否定的であれば、上の様なヒーリングとシュミレーションの他、女性化願望も考えられ得る。

 以上の読者分析に於いて、何れのタイプも「百合」の定義に共通項を持つ傾向にある。また、ポルノとしての性描写を含む場合を、「百合」に含まない事が多い。
 これは、「ポルノを観る」という視線が「男性性」を想起させるために、いずれのタイプでも忌避される傾向があると考えられる。
 今回「萌え」の定義を借用した永山薫の著作によれば、「(萌えには)欲望に煙幕が張られ、曖昧にされ、韜晦される。「萌え」の根底には性(性的な欲望やエロティシズムとその表現)に対する漠然としたフォビアがあることが見て取れる」[永山薫 『エロマンガ・スタディーズ』]とあり、「百合」に対する「萌え」もこの傾向にあると考えられる。
②専門誌に於ける男性の「百合」著作分析

 宇河弘樹『二輪乃花』(芳文社2012年)
 玄鉄絢『星川銀座四丁目』(芳文社2010年-2013年)
 藤枝雅『飴色紅茶館歓談』(一迅社2009年-2011年)
 吉富昭仁『ふたりとふたり』(一迅社2010年) 

の4作を分析対象としました。選定基準は「百合」専門誌に掲載された事、連載であった事、男性による著作であることです。

 サンプル数が少なく「男性」著者の傾向を把握するには証拠能力が弱いですが、全作品で「関係性の掘り下げ」が共通していました。
また、ポルノとしての性描写はほとんどありません。特に、性描写の「視点」が一人称となって、作中人物一人の性描写を強調する事は皆無でした。
 作中人物の性役割も流動的であり、行動の積極性・受動性を持つ人物が固定的になる事はありませんでした。この事から、明確に「百合」として描かれる場合には、「関係性」と「ポルノ要素の排除」は、男性作者にとっても「百合」の重要な要素であると考えられます。そのため①の1-2や2のタイプでは、関係性が重要視される「百合」専門誌掲載作品が好まれる傾向にあると思われます。
 性役割の流動性については、男女のカップルを女性同士に置き換えて「男」を排除するため(第三者視点から2人同時に萌える「キャラ萌え」タイプ)ではなく、「関係性」の掘り下げの中で、対等である事を強調するためと考えられます。
これを言い換えれば、「男と女」という組み合わせに不平等性を感じている(或いはマチズモに対する忌避)とも取れます。




 以上が現時点での私の卒論での結論となっています。当初は一人一人の読者を心理学的に分析しようと計画していましたが、それでは全体的な「傾向」が把握できません。これは藤本由香里先生から、質問とは別に発表後にご指摘を頂いた点です。

 また、発表時の失敗としてササキバラ・ゴウと熊田一雄の意見を比較して提示しましたが、ササキバラ・ゴウの「フェミニスト的偽装」は「百合」に対しての分析ではありません。「フェミニスト的偽装」をする男性が80年代から出現し始めた、というササキバラ・ゴウの意見に対して、熊田一雄が「「百合」を読む男性はその限りではない」と、著作の中で述べていました。
 私のスライドの見せ方では、ササキバラ・ゴウが「百合」を読む男性に対して言及したように見えてしまったかも知れませんが、その場合は誤解をお招きしたことをお詫び申し上げます。

 今後の卒論集発行に向けては、上の読者分類をmixiの書き込みを元に再度考察し、更に細かい分類が可能であるかを再検討します。また発表の時のように、私の論を補強するために恣意的な引用(もしくはそう取れる書き方)をしていないか、注意深く編集するよう努めます。

 研究を始めた当初、ジェンダー論という繊細な領域に片足を突っ込んだつもりが、腰まで浸かっていました。
 考えれば考える程繊細で多様で、自分のちっぽけな主観で「分類」という行為に及ぶのはおこがましいと思い、筆が止まることが何度もありました。振り撒いた迷惑については後悔しきれません。
 しかし発表の際に、「面白い」「修士でも続けて欲しい」という感想までいただき、驚くとともに気持ちを新たにすることが出来ました。ここまで来てしまったからには、覚悟を決めて自分が納得できる結論と証拠を書き切ろうと思います。気を引き締めて、最後の仕上げに臨みます。

 次回は「少年合唱団」の中尾さんです。よろしくお願いします。
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