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【第17回】百合と男性②

Category : 卒論日記
こんにちは2週目の後藤です。

保存と間違えて閉じるを押すという愚行をおかし、半泣きでこの日記を書いています。


卒論の題は 「百合」を読む日本人男性の性意識変化の実例と実証 です。確認のためもう一度記載します。

前回は研究の概要と進める上での懸念を書いたので、今回は「百合を愛好する男性」の分析対象についてお話します。


一、分析対象:作品と読者

 本研究では男性が供給する「百合」作品と、「百合」を受容する男性の2面を分析します。

前者については中里恒子(川端康成)の「乙女の港」から、いけだたかしの「ささめきこと」まで、1920年代から現在までの作品を、10~20年の区切りで代表作を取り上げます。それぞれの年代で、吉屋信子の「花物語」から、志村貴子の「青い花」まで、同時代の女性作家による作品と比較します。


 まず作品の比較は「女性作家の作品に、男性作家のそれは近づきつつある」事を仮定しています。

言い換えれば「男性作家は単に一人一人の女性自体を描く事から、女性の間にある『究極の対』への憧れを体現するようになった」という事です。

■分析対象例(戦前期):「花物語」(吉屋信子/1923年 交蘭社より単行本初出) 対 「乙女の港」(※中里恒子(川端康成)/1938年単行本初出) ※本研究では両氏の共作として扱う

ただし、花物語については52の連作から、年代毎に抜粋しての分析となります。

この作品比較についての困難は、90年代に至るまでは男性作家による「百合」作品が極端に少ない事です。

検索能力には決して自身はありませんが、90年代になって幾原邦彦監督らによる「少女革命ウテナ」の登場までは「精神的繋がり、関係性」を以って主題とする作品は中々見つかりません。

何を以って「関係性」を主題とするのか、そしてポルノ、非ポルノの境についても定める事自体が無理(無意味?)なので、いっそ男性向けのポルノ作品についても分析対象として扱ってしまおうかとも考えています。

そこで間口を広げ、00年代の「百合」登場以前については「女性同士の精神的、肉体的に親密な関係」を分析対象の条件にしています。


 次に「百合」を受容する(読む、見る、聞く)男性の分析です。

百合を受容する男性は、

自身の男性性に対する忌避、女性性への憧れ、『究極の対』(もしくはこれを実現できる女性性という幻想※)への憧れが、購買の原動力となっている事。

そして、「百合」を読む男性の中には、作品に対して「同一化」「自己投影」で読む人間が一定数存在し、その数は増えている事を仮定しています。

※「百合」という「創作」に描かれた女性性を以って『究極の対』の実現に必須であると考えている男の「一方的な」幻想であり、決して「現実の」女性が『究極に平等な対』を実現できないという意味ではありません。

即ち、こうした憧れや動機が熊田一雄の提唱する「新しい男性性、根源的暴力性の忌避」に繋がると考えています。

ここではmixiなどSNS、2ちゃんねるなどに於ける書き込みを分析の対象とします。本来であれば直接のインタビューや、アンケート調査が望ましいのですが、アイデンティティに関わる内容であるため(お互いの精神衛生保全を考えて)取りやめました。


 「お前が言いたいのは、つまり男にとっての百合は作者や読者が投影されるMale to FemaleのTrans Sexual Fantasy なのか」という意見があります。ごもっともだと思いますが(というかそうなる場合も多々あると思いますが)、一概に全ての作品がそうという訳ではありません。

なにしろ読み方によっては「女性登場人物二人の間に、男として入り込む」というよく分からない(根源的暴力性バリバリでの)楽しみ方をする人もいます。

性的指向に対してグラデーションのたとえが出されるように、男性による「百合」の読み方にも種類毎に区切れるパターンを設定するのは不可能ではないかと、最近では考えています。

言葉で分類する事自体が無粋というか、「百合」というものの殺害というか・・・。予定していた「百合」を愛好する男性の分類については、デジタルよりもアナログな方策を模索中です。

たとえデジタルにしても、相当解像度の高いやり方にしないといけないと思います。

自分が MtFやMtXという「型」に該当する事で安心する人もいれば、一定の「型」で分類される事自体が嫌いな人もいます。
思っていた以上に繊細な内容を扱っていると気づいた時には、提出期限が間近に迫っていました。


巨大な悪の組織「シュウカツ」に、学生としての意欲と共に殺された後藤壮史は、ギリギリの卒論によって「仮面バチェラーX」としてなんとか学生をしていた。
壮史のテーマ、「性」は何故こんなにも繊細なのか。そして百合と男性とは。
絶望的な卒論と戦う、仮面バチェラーX!


そんな状況です

次は徐さんです。よろしくお願いします。
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