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【第6回】百合と男性

Category : 卒論日記
こんばんは。本日は後藤です。

まずは私の卒論についての基本事項を列記します。


 一、題:「百合」を読む日本人男性の性意識変化の実例と実証

 「百合」とは:女性同士の精神的に親密な関係性を主題とするマンガ、小説、アニメなどの創作物の総称
  2000年頃にマンガ、アニメなどに対する使用が始まる。(例:国内最大規模の同人誌頒布会であるコミックマーケットでは、2000年の58回のカタログから、突如百合の記述が現れる。)
  (本論では、「百合」の使用以前の作品についても便宜的に「百合」として扱う)

 二、動機:何故、「女性同士」の関係性を描く創作物を好む男性が出現したのか、その出現にどんな意味があるのかについての興味

 三、仮説

  1. 男性→「百合」作品の読み方には、「作中人物への同一化」が存在している(女性との対等な関係性の追究、願望)→「百合」を通した「究極の対」の嗜好

  2. 「百合」の嗜好には「同一化」の他にも複数のタイプが存在する


 四、目的

  1.熊田一雄氏が試論として示した『「百合」を好む男性の出現はアンソニー・ギデンズの示した「男性の感情革命」の一端である』という論の裏付け

  2.男性による「百合」の読み方の分類と傾向把握


 五、調査、実証方法

  ①明治末期~現在まで、各時代毎の「女性同士の親密な関係」を描く作品の代表例を分析(男性作家、女性作家を同数分析):時代ごとの男性視点での描き方の傾向と変化を、女性視点での描き方と比較しながら観察(描き方が近づいているか否か)

  ②コミック百合姫(2004年創刊)の男性読者の増加傾向分析:読み方に関わらず、「百合」を読む男性の母数増加傾向の把握

  ③「百合」を読む男性の現在の傾向分析(mixi、Facebookなどのコミュニティの書き込みを分析対象とする:現在進行形での傾向の把握。実例調査。

   ※分析には熊田氏の論の他、河合隼雄氏が示した性別越境模式図、永山薫氏による「エロスとゆらぎ」の関係性、ラカンの「同一化」等を以って考察する(理解不足は否めません)


以上が基本事項となります。

 この方向性に至った理由の一つは、熊田氏の著作です。
 熊田一雄氏による『男らしさという病?―ポップ・カルチャーの新・男性学』(風媒社 2005)を読み


百合を愛好する男性たちの抱える男性性をめぐる葛藤とは、「対等な対」=親密性への要求と、※ササキバラが論じた一九七〇年代以降も変化しない男性の「一方的に見る」「特権的な立場」、男性の根源的暴力性との葛藤だろう。[熊田p.82] ※ササキバラ・ゴウ

『セラムン』以降の「身近な愛」という百合のメインテーマは、ギデンズの「感情的満足を優先する社会」の基板となりうるものだろう。[熊田p.86]



という論に驚きを覚えました。

※身近な趣味の一つである「百合」に意味があるという事への驚きが、現在の卒論の方向性を決定づけました。

※私の「趣味としての百合」については過去のエントリ『私の持ってる百合(に対する私見・作品)』で気持ち悪いほど語ったので、ここでは省略します。


 しかしながら、現在卒論の執筆・調査は難航しています。これは、情けない事ですが、私の意志の弱さに由来しています。また、その意志の弱さが向く方向も一つではありません。


 まず第一に、自分自身の恣意的な見方で書いていないか、という不安があります。男性の「百合」の読み方には複数あり、仮説のような「同一化」の他にも「第三者として『対等な対』という関係性を愛好する」、「マゾヒスティックな内的女装体験」「擬似的に女性二人の間に入る」、「女性二人を手に入れる」といった読み方(願望)が考えられます。(あくまで仮説です)

しかしこの卒論の目的は熊田氏の論を裏付ける事でもあります。同一化や対等な対の追究があってこそ、感情革命の論を裏付ける事となるため、もし他の読み方(女性を手に入れる、一方的な値踏みの視線)が主流である場合、裏付けは失敗に終わります。

ともすれば調査の結果「男性性に対する葛藤・変化は、存在はするものの広がりを見せていない」という結論に至りかねないです。そのため、無意識にこの結論を避けた恣意的記述が多くならないかという不安があり、(後者の結論に至る事自体も確かに不安であるため)調査に対して中々意欲が湧きません。


 第二に、この卒論の発表が自他共に精神的に傷つく物になるのではないかという不安があります。

本論では「男性」という性と、その変化を考察します。「性」は多かれ少なかれ、人格の中で根幹を成す要素であるため、その根幹に対する考え方・捉え方は、個々人の中で強固な物であると考えられます。

この卒論で一つの「傾向」を発表することは、異論を持つ人々にとって不愉快な物になるとも思われます。主張は目的達成のためにも強固にするべきですが、強めれば強めるほど自他共に精神を擦り減らす事になるのではないかと、考えが堂々巡りになります。


 最後に、本論が「百合」という創作物群その物の印象を悪化させないかという不安があります。

「百合」は、女性同士の精神的な関係性を主題とするため、読む側であっても、「男性」が大々的に関わることに対しては様々な考え方があると思われます。

コミック百合姫の読者層調査でも、調査結果から「百合」と「男性」の関わりを明示する事で嫌悪感を持たれる方や、百合その物に対して考え方を改める方がいらっしゃるのでは、という不安があります。


 大きな不安はありますが、うまく行けば画一的な「男らしさ」、「男性性」、「男性」に対して、(私自身と読まれる方々にとって)考え方が変わる契機になるのでは、と考えているため、何とかして自身を奮い立たせようと努力を続けます。

少なくとも、キチンと発表出来るだけの物を仕上げてみせます。


次は徐さんです。よろしくお願いします。
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