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【第22回】サブカル女子②

Category : 卒論日記
みなさんこんにちは。原田です。
ただいま、中尾さんが前回紹介してくれたLIBERAの動画をBGMにしながらこのエントリを書いています。
和室にいるのに、ヨーロピアンなクリスマス気分が高まります。生で聴いてみたい!


さて、私の卒論テーマは「サブカル女子はなぜ叩かれるのか」です。
前回のエントリでは、私がこのテーマを選んだ理由、サブカル女子と邦楽ロックとの関係などについてお話ししました。
今日は、「サブカル女子」の実態について、進捗状況も交えてお話したいなあと思います。

と言っても、「サブカル女子」というくくりは何か明確な定義あるわけでもなく、
基本的には、外から揶揄するための言葉として存在するものです。
いったい、「サブカル女子」と呼ばれてしまう人たちはどこに現われるのか。
私は、「サブカル女子」を叩くうえで欠かせないキーワードをいくつか挙げ、
それをインターネット上で検索にかけ、それについて発言している女の子(と思われる人たち)の言動を見ていきました。

たとえば。
前回述べたように、邦楽ロックと「サブカル女子」には強い関係性があります。
そこで、Twitterで複数の若手バンドが出演するフェスの名前をキーワードにし、それについて発言しているツイートを読んでみたり。
「サブカル女子」批判として「自分の足元を写真に撮りがち」というものがあるため、
「instagram」(インスタグラム)という写真投稿SNSで自分の足元を撮った写真を投稿している女の子の発言を読んでみたり。

そして仮に彼女たちを「サブカル女子」ということにし、
彼女たちの実際の発言と、彼女たちへの批判の内容を比較して見ていきました。


しかし、当たり前のことですが、「サブカル女子」として批判される内容すべてが当てはまるような女の子は、
きっとこの世には存在しません。
言いかえると、「サブカル女子」として叩かれる顕著な要素がないとしても
(他人からは「サブカル女子」には見えないような女の子たちも)、
何かしらの部分で、誰もが「サブカル女子」的な要素を持っている可能性があるということです。

一億総サブカル。

「あるある」ネタとしてたくさんの人の中で共有されている「サブカル女子」という存在も、
それは結局イメージに過ぎず、
「本物」や「実態」は存在しない。つまり明らかにしようがないのです。

「イメージ」と「現実」を比較検証することの難しさは、卒論執筆が本格的になる前から、
先生から教えていただいていました。

が、しかし、私の卒論の軸はまさにそこにあり
危ない橋を渡っていることに気づいていながら目をつぶり、結局堂々巡りを繰り返しています。
「イメージ」を扱うことは、本当に難しいです。

ですが、ここで視点を変えて考えてみます。

「サブカル女子」が実像ではなく、イメージ(さまざまな要素・特徴のあつまり)に過ぎないのであれば、
「叩く側」にとっての「サブカル女子」は、単体の人間そのものを指すのではなく
ひとりの人間の「いち側面」と言えます。
この「いち側面」に他者が「サブカル女子っぽさ」をみたとき、
女の子は「サブカル女子」として叩かれるのだろうと思います。

そう考えると、
卒論タイトル「なぜ『サブカル女子』は叩かれるのか」は、
「なぜ、『サブカル女子』というイメージを構成する要素を叩くのか」ということになります。
そこを掘り下げると「叩く側」の心理がわかります。

一方で、先述したように
女の子ならば、誰もが「サブカル女子」的要素が当てはまりうる、と私は考えました。
そして、そこでは、自分を「サブカル女子」だと自覚している/いない
が問題になってきます。
つまり女の子たちが自分自身のことをどう思っているか、どう思われたいかという自意識の問題です。
ここが、私が掴もうとしていた「サブカル女子の実態」にせまるカギになっています。

うーん、抽象的。

私の堂々巡りの結果として現われた、この今更感あふれる論点(しかもかなり核心に近い気がする)を
ここではまだ上手く言葉にできませんが、卒論本文ではきちんと具体化して、形にしたいと思っています。

卒論日記、
今年のぶんは本日でおしまいとなります。いかがでしたでしょうか。

私は、ゼミ生全員が、それぞれの卒論の結論をなんとか導き出そうと頑張っている様子を
みんな格好いいなあ…と思いながら読んでいました。
各々扱うテーマは違っても、「卒論を完成させる」という同じ目標を共有している一体感は
日ごとに増して感じているし、今年度が始まった頃よりもずっと大きくなっている気がします。
そしてそれはとても大切なものなのではないかな、と思っています。

いやいや、しんみりしている暇はありません!
なんと、完成したゼミ生全員の卒論は、一冊の本にまとめられて出版されます。売り物になります。

立派な製本に恥じぬよう、まだまだ一生懸命、書かねば。

来年2月、本になる前に、
私たちは完成した卒論の内容を発表する「卒論発表会」を行います。
(一般の方も入場していただけます!詳細は追って掲載いたします!)

次回のブログ更新は年明けになりますが、「卒論発表会」に向けて、引き続きゼミ生が順番に卒論日記を書いていく予定です。

ではでは、今年1年間、ブログを読んでくださり、私たちを見守ってくださった皆様、ありがとうございました。
よいお年をお迎えください!
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【第21回】少年合唱団②

Category : 卒論日記
やる気を出すための一粒、椅子に腰掛けた後気合を入れるために一粒、パソコンを開いたところで労いの一粒、ちょっと頑張ったから一粒……この時期のチョコ消費はあっという間ですね。

遅ればせながら、一つ下の4期生のブログ「38ch」とHPのリンクを貼りました。
とても賑やかで楽しいページ(4期生本人たちも^^)なので、どうぞこちらもよろしくお願いいたします。
私事ですが、4期生と3年生(後輩)、3期生と4年生(私達)が混ざってしまい、よく3年生のことを3期生と言ったり4年生のことを4期生と言ったり(学年が逆転)していました。


さて、前回は
・卒論のテーマを選んだ理由
・「ウィーン少年合唱団」「リベラ」を比較対象にした理由
・卒論の構成と内容
・現段階で分かっていること
・調べていて楽しいこと
についてつらつら書きました。

今回は、変更した所、現状、新たにわかったこと、今後の展望について書いていこうと思います。

-----------------------------------------------

卒論の構成は、
(1)「どの様に日本に入ってきたのか。」
(2)「何をきっかけに注目を浴びたのか。」
(3)「注目を浴びた際、どの様な日本のメディアに載り、どの様な内容が載っていたのか。」
(4)「過去と現在では、受容のされ方に違いはあるのか。」
前回もお話したとおり、この4ステップで進める予定です。


まずは、現状について。

前回(3)を進めているところです、と書きました。
今も(3)を進めているところです。
同じ所から変わってないじゃんと突っ込みたくなりますよね。
でも進んだんです…!!!

▼【ウィーン少年合唱団】
『週刊少女フレンド』1963~65、1972~74、1981~83
▼【リベラ】
『CHOPIN』2004~2007、2009、2011、2013

注目を浴びたと考える、ウィーン少年合唱団は1964年、リベラは2005、6年を中心に掲載の有無、内容を調査しました。
そして掲載傾向を調べるために、数年間分ずつ数年置きに調査を続けました。
前回はこれが無かったんです…!この分進んだんです…!これないと本論が書けないんです…!

これに加えて、それぞれの中心とする年の雑誌掲載を調べたり、中心とする年が1964年、2005、6年で本当に合っているのかを裏付けする資料を追加で調べていました。




次に変更点について。

(3)で、ウィーン少年合唱団について『少女フレンド』でウィーン少年合唱団についての掲載の有無、掲載内容を調べ、プラス音楽雑誌として『音楽の友』も調べたいと前回書きました。
現在は『少女フレンド』→『週刊少女フレンド』(後続誌として『shojo friend』『月刊少女フレンド』もあります)に絞って調査しています。

また、音楽誌を『音楽の友』と設定していましたが、これを『合唱界』に変更する予定です。
当初は、後に出た「ウィーン少年合唱団」という、写真も文も沢山入っている写真集…?とも少し違うと思うのですが、“丸々一冊ウィーン少年合唱団について書かれている本を出版した音楽之友社が出した雑誌”として、同社出版の『音楽の友』を設定しました。
しかしこれは私の調べ間違いで、この本は東京音楽社から出版されていました。
その為、東京音楽社の『合唱界』に変更する予定です。

そもそも“丸々一冊ウィーン少年合唱団について書かれている本を出版した音楽之友社が出した雑誌”に設定したのは、リベラの雑誌掲載調査対象である『CHOPIN』という雑誌を発行しているショパンが、リベラの写真集を出した会社という関係であることが理由です。
私の卒論では、ウィーン少年合唱団とリベラを比較したいと考えているので、似た環境で出版された本を扱いたいと考えています。
こちらはまだ調査途中なので、何とか…何とかしたい…orz




続いて、新たにわかったことについて。

新たにというか、前回わかったことに追加してという感じでいくつかわかったことがあります。

まず、ウィーン少年合唱団においてやはり1964年は重要であるということ。
ウィーン少年合唱団について調べていると、1964年を振り返る記事がいくつか出てきました。
例えば、2004年『CHOPIN』No.246では「天使たちの同窓会 40年前のウィーン少年合唱団」という特集が組まれています。
1964年に来日し、訪日30周年を迎えた当時の団員や先生達が、1994年に記念の同窓会をオーストリアのアウガルテン宮殿で開いた事について書いてあります。

ウィーン少年合唱団側にとっても映画「青きドナウ」が、それ以前のウィーン少年合唱団をモチーフにしたり団員が出演したりした映画とは違うと書いている文献も見つかり、ウィーン少年合唱団が1964年に注目を浴びた理由がしっかり書けそうです。

また、リベラもドラマ「氷壁」で「彼方の光」が主題歌として使用されたことが2006年に注目を浴びたきっかけということも、CDの売上や文献資料からきちんと立証出来そうな感じです。




最後に、今後の展望について。

前回の記事で
「日本において、海外の少年合唱団がどの様に受容されているか~1964年の『ウィーン少年合唱団』と2005年の『LIBERA』の紙媒体掲載を中心に~」
に変更するかもしれませんと書いたのですが、やはり紙媒体もしくは雑誌掲載を中心に、に変更する方向で進めています。

とりあえず卒論が書けそうな最低ラインの資料がやっと集められたので、ここからデータをおこして(3)を文章にしていく作業に取り掛かりたいと思います。
提出期限の土曜日まであと4日ですね、頑張ります…!


最後にクリスマスにおすすめ、
リベラの
Carol of the Bells
Have Yourself a Merry Little Christmas」(こっちはクリスマスおなじみの曲だと思います)
を貼って、この前偶然永田町で会ってびっくりした原田さんにバトンタッチしますー!



【第20回】商業施設②

Category : 卒論日記
こんにちは!
堀込です。

ついこの間卒論日記の1回目を書いたばかりな気がするのですが、
もう2回目が回ってきました。

そして、この卒論の第1回締め切り日まで残すところ約1週間。
クリスマスどころじゃありません。

さて、私は「商業施設」について研究を進めているのですが、
この卒論執筆中にも都内には新たな施設がいくつか開業しています。

そのうちの1つ、9月に神田の「旧万世橋駅」跡地に開業した
「マーチエキュート神田万世橋」について初めに少し紹介させていただきます。

この施設は、1943年までこの地にあった万世橋駅の姿を一部復元させています。
この施設のウリの1つは、当時ホームのあった部分がガラス張りのカフェ・バーになっており、
中央線を間近で眺めながらお茶ができるということです。(お酒も呑めちゃいます!)

お店のHPはこちら
http://n3331.com/

通り過ぎる電車が見られるカフェなんて斬新で素敵ですよね!

とはいっても私もまだ行けていないので…
近日中に行ってみようと思います。
実地調査という息抜きです。

この「マーチエキュート」のように、
今までになかったウリを持った商業施設が近年増加している実状を考えると、
やはり人々の街の楽しみ方が変わってきたのではないかなと思います。

というのも、1990年代の『東京ウォーカー』を見てみると
お出かけと言ったら渋谷・原宿・銀座・池袋が王道という印象を受けます。

また、そこでの楽しみ方も
カフェ→映画→ディナー
といったお決まりのデートコースが提案されていることが多く、
街自体にあまりスポットが当てられていない気がしました。

しかしここ数年、タウン誌における東京のエリア区分はどんどん細分化され、新たに注目されるエリアも増えています。

そして、前回の卒論日記にも書きましたが、
2000年以降東京には新たな商業施設が続々と開業していて、1年に最低1件は必ず開業しています。

ちなみに、一般社団法人日本ショッピングセンター協会が発行する
『SC JAPAN TODAY』によると、2003年末から2012年末の間で都内のショッピングセンターの数は202店舗から285店舗に増えているそうです。

この調査は当該協会独自の「ショッピングセンター」の定義に基づいて行っているので私が調査対象としている商業施設の中にはカウントされていないものもありますが、
9年間で83店舗という数字からいかに増加しているかが分かると思います。

東京の街のエリア区分の細分化と、商業施設の増加の現状を考えると、
やはり2000年代に入ってきてから“街”を盛り上げる要因として商業施設がとても大きな役割を果たしてきたのではないかと思います。

さらに、その役割にもここ数年で変化が見られ、
ただ街を新しくきれいにするのではなく、むしろ昔の景色をよみがえらせたり、その街がもともと持っていた強みを引き出すような役割を担うものも増えてきています。

今後も商業施設に求められるものは変わっていき、新たな形態の施設が増えていくと思います。

と、ここまで書いてきて、内容はまだまだ不十分ではありますが、
やはり自分は商業施設が、街が好きなんだなーと改めて実感しました。笑

ただこれを個人的な趣向で終わらせては意味がないので、まずは残りの1週間でしっかり仕上げ、その後も最終的な論文集にする時まで頑張ろうと思います。

少し内容があっさりなのは、1週間前ということでお許しください。

次は中尾さんです!
よろしくお願いします♪

【第19回】ゲーム実況②

Category : 卒論日記
こんばんは、今日も1日卒論と奮闘していました。中西です。

私の卒論のテーマは「ゲーム実況はオワコンか」です。
ニコニコ動画などで人気の「ゲーム実況」という文化があるのですが、簡単に言うとその「ゲーム実況」の昔と今での変化を追っています。
詳細は第8回のエントリをご覧ください。

前回から進めた点は、主に実況プレイ動画の視聴です。
本論の①では、2007年から現在までのニコニコ動画における実況プレイ動画を比較し、
実況されたゲームや編集の度合い、実況スタイルの変化を述べます。
(※「実況プレイ動画」とはゲーム実況の動画です)

今回調査対象とした実況者の方は、ニコニコ動画で活躍する(していた)実況者合計67組で、基本的には彼らの動画の中で最も再生数が多い動画シリーズを調査対象動画としています。
この調査対象動画がなかなか定まらず、つい最近までかなり適当に動画を視聴していました…

ちなみに実況プレイ動画は単発のものもありますが、多くは何パートにも分けて投稿されていることが多いです。今回選んだ動画の中で複数に分けて投稿されているものは、最初と最後のパートのみを調査対象としています。


そしてついに…動画の視聴が大方終了しました!!
あとはノートに記録した内容を表にするのみ…
なかなか根気がいりそうですが、頑張ります。


実況プレイ動画の視聴を繰り返してみて、やっぱり2008年・2009年辺りを境に、徐々にゲーム実況のあり方が変わってきているのだなと感じました。私も今までは何気なくゲーム実況を見ていましたが、
時系列的に並べると今まで見えなかったことが見えてきて面白いですよ。

どんな変化が見えたのか詳しくは論文で書くことにしますが、
今回の最も重要と思われる発見について言及しておきます。

それは実況プレイ動画において、以前は「実況者」と同じぐらい、もしくはそれ以上に「ゲーム」が重要であったのに対して、最近のものになるに連れて「ゲーム」よりも「実況者」の方がメインになっている傾向があると感じたことです。

これは特に、ニコニコ動画において画面上に流れるコメントに顕著に表れていると思います。最近の実況プレイ動画は昔のものと比べ、ゲームに関するコメントよりも「○○(実況者)の声かっこいい」とか「かわいい」とか、実況者に向けてのコメントが明らかに多いです。また実況者側も、最近活動している人はそのことを理解した上で動画を作っているように思います。例えばここ1、2年の間に、それまでは一緒に活動をしていなかった人気実況者同士が一緒にゲーム実況を行う「コラボ実況」の動画がかなり増えたように思います。これは一例ですが、こんな風にゲーム実況を行う実況者たちを見ていると、「ゲームではなくてゲームをしている自分たちを見てくれ」と言っているような気がしてなりません。

つまり、ニコニコ動画における黎明期(2007年〜2008年)のゲーム実況は、実況者という存在の前に「ゲーム」という存在があったのに対し、それ以後のゲーム実況においてはゲームという存在の前に「実況者」の存在があるのではないかと考えています。そうなると必然的に、以前のように「実況者」よりも「ゲーム」をメインに楽しみたい視聴者は、ゲーム実況を「オワコン」と感じているのではないでしょうか。


本論では「実況プレイ動画の変化」以外に、最近になって公式(ニコニコ動画やゲーム会社)がゲーム実況に対して寛容になっていること、ゲーム実況者のアイドル化について述べています。ここで述べている、世間がゲーム実況に寛容になっている風潮も、実況者のアイドル化も、先ほど述べたように「ゲーム実況のメインが『ゲーム』ではなく『実況者』にシフトされていること」にカギがあるのではないかと睨んでいます。

前回のエントリでは、本論の③がカギを握ってそうな気がする的なことを書いたと思いますが、①②③全ての項目が繋がっているという確信があります。しかしそれどう繋げようか悩んでいるのが今…という感じです。
全体的にまだまだ論は弱いですね、なんとかせねば。(^^;)


豊島さんもブログで言っていたことですが、調べていけばいくほど新しい論点が見えてきて、面白いなあと感じる反面、どうやって全部論じれば良いのか…と悩んでいます。でもそこを頑張るからこそ、やりがいがあるんだと思います!!

頑張って行けるところまで行きたいと思います。
こんな感じで今回の卒論日記を終わります。


次は堀込さんです、よろしくおねがいします!

【第18回】ハローキティ②

Category : 卒論日記
こんばんは
∧__ε○З
(≡・ω・≡)
キティちゃん大好きなジョコウです。

念のため、復習させて頂きますが、
私の卒論テーマは、
「世界中にハローするキティちゃんーその人気の理由は何か」です。

前回から変わった部分はあまりないですが、躊躇っているところがあります。

それは、キャラクターの「比較対象」です。

一応、本章ではハローキティとサンリオの、
「マイメロディ」
「リトルツインスターズ」
「ポチャッコ」
と比較し、キティが看板キャラになった理由を明らかにしたいが、
ポチャッコに関する資料はあまりにも少なかったので、
別のキャラクターに変更しようと迷っています。

マイメロディを選んだ理由は、ほぼ同じ顔をしている2つのキャラクターを比較し、キティの可愛さを明らかにしていきたいからです。更に、これまでサンリオキャラクター大賞で12年連続1位を獲得してきたキティから、マイメロディが2010年、2011年、2年連続で1位の座を奪い、話題となり、すごく注目度が高いです。

リトルツインスターズを選んだのは、キティとマイメロに匹敵できるサンリオの長寿キャラクターであり、パステルカラーで可愛い双子キャラクターの設定で、キティの可愛さと何が違うのかを検証していきたいからです。

そして、ポチャッコを選んだのは、歴代のサンリオキャラクター大賞を見るとわかるように、ポチャッコはこの大賞で1991年から1995年まで、5年連続1位を獲得し、キティの次に1位受賞回数最多となり、なぜポチャッコが当時大人気だったのか、考察していきたいからです。

90年代に絶対何かあったと思い込み、ポチャッコを比較対象に入れたが、
調べた結果、特に何もなかったみたいです。
当時発売されたグッズも少なかったし、大きな話題にもなれなかったし、
なぜ5年も1位をキープしたのか、自分も不思議だと思っています。

先週、ゼミで一緒にスヌーピー展に行って思い出したが、

「スヌーピーもサンリオ?!」

あ、確かに、スヌーピーの日本国内販売ライセンスを持っているのはサンリオですが、オリジナルキャラクターではありませんね。
一応本論では、キティが「サンリオ」の看板キャラになった理由を明らかにしたいので、できれば同社のキャラクターで比較したいと思っています。
同社の注目度が高いキャラクターなら、ポムポムプリン、シナモンロール、クロミとか、色々いますが、誰にしようか迷っています。

キティが猫キャラで、もう一個猫キャラと比較?それとも犬キャラと?
あ、迷います!!

でも、あの不思議の人気を持っているポチャッコのことも諦めたくないので、
もう少し調べようと思っています!!

よし、頑張ります!

次は中西さんです、
宜しくお願いいたします。

【第17回】百合と男性②

Category : 卒論日記
こんにちは2週目の後藤です。

保存と間違えて閉じるを押すという愚行をおかし、半泣きでこの日記を書いています。


卒論の題は 「百合」を読む日本人男性の性意識変化の実例と実証 です。確認のためもう一度記載します。

前回は研究の概要と進める上での懸念を書いたので、今回は「百合を愛好する男性」の分析対象についてお話します。


一、分析対象:作品と読者

 本研究では男性が供給する「百合」作品と、「百合」を受容する男性の2面を分析します。

前者については中里恒子(川端康成)の「乙女の港」から、いけだたかしの「ささめきこと」まで、1920年代から現在までの作品を、10~20年の区切りで代表作を取り上げます。それぞれの年代で、吉屋信子の「花物語」から、志村貴子の「青い花」まで、同時代の女性作家による作品と比較します。


 まず作品の比較は「女性作家の作品に、男性作家のそれは近づきつつある」事を仮定しています。

言い換えれば「男性作家は単に一人一人の女性自体を描く事から、女性の間にある『究極の対』への憧れを体現するようになった」という事です。

■分析対象例(戦前期):「花物語」(吉屋信子/1923年 交蘭社より単行本初出) 対 「乙女の港」(※中里恒子(川端康成)/1938年単行本初出) ※本研究では両氏の共作として扱う

ただし、花物語については52の連作から、年代毎に抜粋しての分析となります。

この作品比較についての困難は、90年代に至るまでは男性作家による「百合」作品が極端に少ない事です。

検索能力には決して自身はありませんが、90年代になって幾原邦彦監督らによる「少女革命ウテナ」の登場までは「精神的繋がり、関係性」を以って主題とする作品は中々見つかりません。

何を以って「関係性」を主題とするのか、そしてポルノ、非ポルノの境についても定める事自体が無理(無意味?)なので、いっそ男性向けのポルノ作品についても分析対象として扱ってしまおうかとも考えています。

そこで間口を広げ、00年代の「百合」登場以前については「女性同士の精神的、肉体的に親密な関係」を分析対象の条件にしています。


 次に「百合」を受容する(読む、見る、聞く)男性の分析です。

百合を受容する男性は、

自身の男性性に対する忌避、女性性への憧れ、『究極の対』(もしくはこれを実現できる女性性という幻想※)への憧れが、購買の原動力となっている事。

そして、「百合」を読む男性の中には、作品に対して「同一化」「自己投影」で読む人間が一定数存在し、その数は増えている事を仮定しています。

※「百合」という「創作」に描かれた女性性を以って『究極の対』の実現に必須であると考えている男の「一方的な」幻想であり、決して「現実の」女性が『究極に平等な対』を実現できないという意味ではありません。

即ち、こうした憧れや動機が熊田一雄の提唱する「新しい男性性、根源的暴力性の忌避」に繋がると考えています。

ここではmixiなどSNS、2ちゃんねるなどに於ける書き込みを分析の対象とします。本来であれば直接のインタビューや、アンケート調査が望ましいのですが、アイデンティティに関わる内容であるため(お互いの精神衛生保全を考えて)取りやめました。


 「お前が言いたいのは、つまり男にとっての百合は作者や読者が投影されるMale to FemaleのTrans Sexual Fantasy なのか」という意見があります。ごもっともだと思いますが(というかそうなる場合も多々あると思いますが)、一概に全ての作品がそうという訳ではありません。

なにしろ読み方によっては「女性登場人物二人の間に、男として入り込む」というよく分からない(根源的暴力性バリバリでの)楽しみ方をする人もいます。

性的指向に対してグラデーションのたとえが出されるように、男性による「百合」の読み方にも種類毎に区切れるパターンを設定するのは不可能ではないかと、最近では考えています。

言葉で分類する事自体が無粋というか、「百合」というものの殺害というか・・・。予定していた「百合」を愛好する男性の分類については、デジタルよりもアナログな方策を模索中です。

たとえデジタルにしても、相当解像度の高いやり方にしないといけないと思います。

自分が MtFやMtXという「型」に該当する事で安心する人もいれば、一定の「型」で分類される事自体が嫌いな人もいます。
思っていた以上に繊細な内容を扱っていると気づいた時には、提出期限が間近に迫っていました。


巨大な悪の組織「シュウカツ」に、学生としての意欲と共に殺された後藤壮史は、ギリギリの卒論によって「仮面バチェラーX」としてなんとか学生をしていた。
壮史のテーマ、「性」は何故こんなにも繊細なのか。そして百合と男性とは。
絶望的な卒論と戦う、仮面バチェラーX!


そんな状況です

次は徐さんです。よろしくお願いします。

【第16回】ミュージカル映画②

Category : 卒論日記
こんにちは。佐藤です。

卒論ブログは平日に毎日更新されるので、自分に回ってくるのがすごく早く感じます!


私はミュージカル映画について論じています。


前回のブログでは

「50年代、60年代に比べ、2000年以降の作品は作風が変化している様に感じ、その原因は何か、またそれはアメリカ的でなくなったということが言えるのかという事を言及する」


・・・と言ったような事をお話しました。

詳しくは卒論日記第5回をご覧ください。


そして、あの時から二週間経ったのですが、前回から何か変わったか、と言われると.・・・あまり進展はしていません。
結構苦戦しています。。


現在は参考文献を読みながら対象作品を見ています。

作品を見ていくうちに自分が立てた仮説が矛盾していることに気がつきました。



アメリカ的ではなくなったかという問いに対して、私は今まで「アメリカ的ではなくなった」というスタンスをとっていましたが、(『ダンサー・イン・ザ・ダーク』などの今までとは違うテーマの作品が出てきたことから。)
2000年以降の作品を見れば見るほど、やはり、昔からのエンターテイメント性というのは存在していることを強く感じました。


もちろんハッピーエンドの作品も多いですし、暗いテーマの作品でも同じように歌から夢や希望を見いだす事ができるのです。


2000年以降の作品は空想の世界でのミュージカルシーンが多いような印象を受けるのですが、その(厳しい)現実と空想の対比で、ますますそのシーンが幸せで楽しく見えるのかもしれません。それってミュージカルの本質なのでは?と思ったのです。


50年代、60年代の作品と2000年以降の作品は結局どのような関係にあるんだろう・・・


・・・ということをぐるぐる頭の中で考えている状態です。



でも自分の頭ではこんなにもやもやしているのに、作品をみると研究対象にも関わらず、楽しい気分になれます。


やっぱりそこがミュージカル映画の魅力なのかなあ。なんて一人で感心したり。笑



他のゼミのみんなももがきながら頑張っている様子なので、私も皆と一緒に最後まで頑張ろうと思います!

次は後藤くんです。
よろしくー!

【第15回】女の子写真②

Category : 未分類
こんにちは。豊島です。
前回の卒論日記を書いたときは11月だったのに…
もう12月ですね。はやい…

私の卒論のテーマは
「90年代にブームとなった女の子写真はその後の作品に影響を与えたか。」
です。
女の子写真とは?といったことは前回を参照くださいまし。

現在主に進めている部分は「影響」の方です。
ここが、私の卒論の主たるところなのに、
現在一番薄いです…。

この部分を描くに当たっては
2000年以降に誕生した写真家の作品、広告写真を見ています。


2000年以降誕生した写真家の方は「ひとつぼ展」「1‐WALL展」の受賞者を
見ているのですが、1‐WALL展のほうがあまり、資料が出てこず、
また作品集を出していない写真家の方もいるので行き詰っています…。
また、この両賞は、女の子写真の誕生に関係しているため、
「女の子写真」っぽい写真が入賞しているのかも…。
と、もやもやしてます。

今更ですが…。や、まだ時間は、あるから…
がんばれ自分!


広告の方は、年鑑をみて検証しています。
2000年以降は増えているという印象が強いです。

ファッションや、化粧品に多いのかな…。
とか勝手に思ってたんですが、そうでもなく
これはキューピーハーフの広告。
hattoripic3.jpg
(出典:『すいどーばたの先輩達』服部一成)

こんな感じで、「女の子写真」的な写真を用いた広告が
2000年あたりから増えてます。
仮説は立証できそう…!

しかし、女の子写真が誕生する以前も、広告写真の分野に
女の子写真的写真が全くないというわけではなかったです。

個人的にここが面白いなー。と感じていて
一つ目に、「女の子写真」は広告、雑誌などからインスピレーションを
受けたのではないかなということ。
(これは、大きなテーマからずれてくるのと、
雑誌まで手を回す時間がないため卒論で論じないと思いますが…。)

二つ目は「コミュニケーション」の視点です。

広告はよく「コミュニケーション」といわれます。
女の子写真は先行研究で、カメラが簡単になったこと、プリクラの誕生とも
関係があると述べられています。

参考にと頂いた卒業論文の中に、『「写ルンです」で撮影した
コミュニケーションが成立していた』ということがあり、
またプリクラって交換したり、見せ合ったりするもの…。

ということは女の子写真ってコミュニケーションの写真なのかな…?
と疑問が湧いてきました。

この辺は、ハード面の変化や、当時どういう風な写真の
コミュニケーションができていたのかとかも調べたいと思います。

また、広告の部分と上手くつなげて書くことができるかなぁ、と。

こんな感じで、調べていけばいくほど新しい疑問や、これも論じなければ!
といったことに出会います。
それが苦しくて、楽しい。
頑張ります。


次はももちゃん。
月曜の更新です~。

【第14回】漫画とホームレス②

Category : 卒論日記
こんばんは

卒論日記第14回を担当させて頂きます。渡島です。よろしくお願いします。
さて、卒論提出まで残すところ、16日となりました。

いやーまだまだいける。

鏡を0距離で見ながら、そうブツブツ自分に言い聞かせ続けています。

今日はゼミでスヌーピー展に行ってきました。面白かったです。
奮発してグッズも買ってしまったのでルンルンです。
良い息抜きができた上、自分の卒論のテーマに繋がる内容だったので、


ああ、行って良かった。




 

さて、例のごとく詳しくは1周目のエントリーを参照していただけると幸いなのですが、僕の卒論のテーマは「漫画に描かれるホームレス状態者は実際のホームレス状態者のイメージを作ったか」というものです。



ここから前回以降行ったこと、思ったことについて書きます。

何とか目標としていた青年誌10誌1年分(2012年初号~最終号)を読むというミッションは終えることが出来ました。

合算で310冊の月刊誌、隔週誌、週刊誌に目を通しました。

ホームレス状態者の登場がはっきりと確認できた号は全310号中37号でした。約12%です。
数字的には登場頻度は10%を超えているので、登場していないとは言えないのですが、
掲載紙に偏りがあるのでその点には注意したいと思います。


そして、今
なんだか・・・
油断しています、渡島。


やっとスタートラインに立てた、または準備体操が終わったくらいの段階かもしれないのに、
何だか油断しています。 

喝を入れて下さい!!喝を!!






・・・よしっ!




先生のツイートに反応してコメントして下さった方が教えてくれた大友克洋さんの、

「ショート・ピース」という短編集の一編、「WHISKY-GO-GO」読ませて頂きました。

大変参考になりました。ありがとうございます。

「WHISKY-GO-GO」ではホームレス男性2人が主なホームレス状態の登場人物として描かれていますが、

やはりこの二人も類型的なイメージに含まれるのではないかと考えました。

しかし、この作品に描かれるホームレス状態者には個性と考えられる点もしっかりと与えられており、

類型的なイメージばかりではなく、個性についても考えないとご都合主義な卒論になってしまうと、

改めて思いました。自分にとって書きやすいように書くのが楽ですが、そうはしないように努めます。当然ですが。


また、

この作品の初出は1977年の漫画アクション増刊であり、単行本作品に登場するホームレス状態者を時代ごとに比較

するための重要な1970年代後半の資料になると考えています。





次は今更ながら手にした重要な参考文献についてです。

そう、今更ながら重要な参考文献「世界ホームレス百科事典」(存在を知りながら目を逸らしていた)を読んでみると、

重要な項目がわんさかさかさか逆上がり あらよっと と出てきました。

例えば「現代記録映画におけるホームレス像」などという項目があり、

大いに今からでも参考にしたい。いや、しなければいけない、という状況です。

この事典はアメリカで編纂されたものなので、漫画、コミックスについて項目は立てられていないのですが、

だからこそ未開拓の領域に踏み込むゾクゾクを感じています。



提出まであと少し

人生一回しか(おそらく)卒論を書く機会はないので、それこそ死ぬ気で書かないと後悔します。だからやります。

うわー

誰と競うわけではないけど、自分にとっての納得度がとにかく高くなるようやります。

今回も読んで頂きありがとうございました。


ちなみに、

明日は今まで避けて避けて、全身にお経を塗るくらいに逃げ続けてきたアンケート調査のために学校に行きます。


次は豊島さんです。よろしくしく泣いてると目が腫れるぜ!

【第13回】おジャ魔女どれみ。②

Category : 卒論日記
こんにちは。小林葵です。
にょきにょき

本来2周目も私からだったのですが、
順番が前後してしまってごめんなさい。

同じく1周目を参考にしていただければ幸いですが、私の卒論テーマは『アニメ おジャ魔女どれみに描かれる魔法の役割とは何だったのか』です。


前回と進行状況はあまり変わっていないので、このブログを更新するのもとても苦労するくらいです。考えても考えても、なかなかピンとこないんです。


そんななかで今日は、『おジャ魔女』に描かれる魔法について、2つ特徴をあげたいと思います。

まずは"魔法が有限であること"。
シリーズによって設定は若干異なりますが、主人公・どれみ達は魔女見習いであるが故、魔法を乱発することができません。

それどころか魔法グッズを作って売ったり、お花を育てて売ったり、お菓子を作って売ったりして、そのお金を魔法玉(魔法を発動するのに必要な玉)と等価交換するのです。

どれみ以外の普通の魔女(純血)は、従来の魔女となんら変わりなく魔法をたくさん使えるし、魔女の赤ちゃん達も呪文を唱える必要すらなくいくらでも魔法を使えます。

この"魔法の有限化"が描かれることで、魔法を安易に使ってはもったいない、という考え方がどれみ達に生まれます。魔法は人間にとって、とても貴重なものであるということも同時に言えるのではないかと思います。


次に面白いなーと思う特徴は、
どれみ達の使う魔法はいつも"等身大の魔法である"ということです。

どれみ達はシリーズ開始当初、小学3年生であり、1年を通して四季が描かれ、次のシリーズでは進級をして物語が展開していきます。

ここで言う"等身大の魔法"というのは、小学3年生らしい魔法が描かれている、ということになります。

たとえば友達の居場所を探す時。
普通なら答えがポンッと出てきそうなイメージですが、おジャ魔女どれみの場合は様々です。

どれみが犬になって匂いを追ったり、
矢印くんが出てきたり、地図やヒントが降ってきたり。

多分、子供の時に観ているとワクワクの要素なのかもしれないけれど、今だともどかしいですね。少し。遠回り感が強いです。

けれどなんでこの仕組みになっているかと言うと、それは魔法を直接の解決策に使おうとしていないから。最後の大事な一押しは、ほとんどが人間の感情なのです。これもまた、小学生らしい純粋な気持ちにあふれるセリフばかりで、22歳の私にはグサッとささることも多々あります。


さてさて、どうしてこの2つの特徴をお話したか。それはここまできて出てくる疑問。


魔法って本当に便利なものなのかなあ。


魔法少女アニメは女の子の憧れを常に作り出し続けますが、その憧れが薄れた大人になった今でも、多くの人が「もし魔法が使えたらな…」と考えることがあるのではないかなと思います。

なぜなら魔法は夢を叶えることができるけれど、生活が便利になることも間違いないですよね。背の低い私なら、高いところのものが魔法でヒョイと取れるだけでも、便利~!って思ってしまいますね。


そう。今回のブログを通してお伝えしたかったのは、この卒論を書いていて、魔法=便利という概念を覆せるんじゃないかなってことです。

あくまで『おジャ魔女』の中にとどまったお話ですが。

教養アニメでもあるけど、小学生向けのアニメでもある訳ですから、そんなシビアな面を4年間通して描き続けているのならば、本当にすごいことしたんだなあと思えると思います。


なんだか行き詰まっていることがバレてしまいそうなブログになってしまいましたが、残りあと少し頑張りたいです。


それではお次はワタシマクン、
よろしくお願いします。

【第12回】光モノ。 その②

Category : 卒論日記
こんにちは。石田です。

今回から卒論日記2周目です。

私の卒論のテーマは「今日のライブ会場等で見られる客席での光モノの使用の起源と普及のきっかけは何か」です。簡単に言うとサイリュームとかペンライトとかについて調べています。詳しくはこの卒論日記の第2回を参照してみて下さい。

前回の自分のターンの時期と比べてやっと忙しさが落ち着き卒論に集中出来るぞー・・・と思いきや、他の授業の宿題などやることがゴロゴロ残ってて憂鬱な気持ちが拭えない今日この頃です。「頑張れ自分」と自分を励ましながらなんとかやっています。

前回から2週間ほど経過しましたが著しく進歩したと思えるようなことは特になく・・・相変わらず時間をみつけては図書館通いの日々です。

あ、そういえば。
前回(卒論日記 第2回)のブログの更新連絡を宮本先生がツイートなさった後そのつぶやきにある方が反応して下さり、その際そのお方が「是非とも昨年のColdplayの演出に触れて欲しいですね。」的なコメントをして下さいました。で、それを発見した私はというと、


速攻ググりましたよ。


そもそもColdplayとはイギリスの男性ロックバンドです。(とか言う私も洋楽は全然詳しくないのでそれ以上のことはよく知らないんですけど。) 去年の彼らのツアー映像を探し出して拝見したんですが、これがすごかった。動画は探せば大量に見つかりますが、以下はそのいっぱいあるうちの一つです↓

NEW COLDPLAY Live Emirates Charlie Brown Xylobands HD - YouTube

うぉー超ーかっけーーーー    って言いたくなりますね(笑)
この場に立ち合えなかったのが残念でなりません。ほんとに。

光の正体を調べてみるとxyloband(読み:ザイロバンド) という何だかちょっといかつい名前のリストバンドに行き着きました。以下本体の写真↓
ザイロ1
【出典:www.zagg.com】

まだ詳細がわかっていませんが、少なくとも外国で生まれた製品であることは間違いありません。写真を見ておわかりのように色はいくつか種類があって、名前のわりに結構、いや、かなりおしゃれなデザインです。去年のColdplayのツアーでは毎回これが来場者1人1人に無料で配布されたんだとか。そしてこのザイロバンドを配布するために1ステージ日本円で約4000万円かけたんだとか。すごい。リッチですね。

ちなみにこれが光ってる時の写真。↓
ザイロ2
【出典:www.coldplay.com】

本体にLEDが内蔵されている模様。ザイロバンドは専用のソフトウェアによってコントロールされており、会場内には約300mの範囲で何か特殊なシグナルが飛んでいて、そのシグナルを受けて本体が曲に合わせ自動で点滅するようになっているようです。言い換えれば自分の意思で光るタイミングを変えたり、オンオフするなどの操作はできません。(つまり家に持って帰ってもライブの記念品として飾っておくくらいしか用途がないという・・・)

ザイロバンドの演出が加わったColdplayのツアーは2012年4月に開始。同年の11月には既に日本のロックバンドUVERworldが国内で初めてザイロバンドをライブに取り入れ、その他にもaikoやももクロ、サザンなど何組かの国内アーティストのライブで採用されているようです。あと今年バンプのミュージックビデオにも使われたみたい。全然知らなかった・・・。



ここまでザイロバンドについてつらつら書いてきましたが、光り方を一斉に操作できる光モノの機器は既に日本でも開発されているんです。現時点の調査で少なくとも3社が開発に取り組んでいることがわかっています。アイドルやアニソン歌手のライブ、また歌番組などで公開実験が何件かなされていて、国内でもその存在はじわじわと浸透しつつあります。

このようなタイプの光り物は観客にとって新鮮で、新しいライブの演出としてプラスに受け止められることが多いのですが、一方で色や光り方をコントロールされることに対して抵抗を感じる人がいることも事実です。

そもそも客席のファンが光モノを使いだしたのは、暗い会場の中でそれを使って目立ち、ステージの上にいる人間に気づいてもらいたいという心理が大きく働いていたのだと私は考えています。

だから、従来の光モノとザイロバンドのような一斉操作型の光モノって、同じ光モノでも性質が違うと思うんですよね。例えばアイドルやアニソンのライブ会場での客席の光モノは「能動的」で、逆にザイロバンドのような光モノは「受動的」・・・というふうにも言い換えられると思います。(でも能動的だから良いとか受動的だから劣っているとか、そういうことを言いたいわけでは決してないんですよ!!)


まだまだしっかりとまとめられていないんですが、「○○年頃から光モノが客席で使用されて~」といった事実の調査結果だけでなく、上記したような光モノの質的な違いについても最終的には言及したいと思っています。時間が間に合えばの話ですが・・・。


といった感じでこのあたりでこの文章は締めくくりたいと思います。
雑な締め方でごめんなさい。

Coldplayのライブの存在を教えてくださった方、ありがとうございました! 
とっても参考になりました!!



次回はまた渡島ゼミ長で良いんでしたけ?間違ってたらごめんなさい。

それではー。




参考サイト
「ライブでの一体感がハンパない“xyloband”っていったい何なの! エンタメ情報まとめサイト『minp!』」
〈http://www.minp-matome.jp/pub/24E73CDD-93A4-4006-A3BD-A06B73C48739〉

【第11回】サブカル女子

Category : 卒論日記
みなさんこんにちは。
ゼミのみんなで行ったボーリングでは1ゲーム中9割の投球がガーターというファインプレーをかましました、
運動音痴日本代表原田です。

卒論日記1周目の最終回を担当させていただきます
私の卒論タイトルは

「『サブカル女子』はなぜ叩かれるのか」

です。

みなさんは「サブカル女子」という言葉ををご存じでしょうか。sabukaru.jpg
出典:犬山紙子、峰なゆか『邪道モテ! オンナの王道をゆけない女子のための新・モテ論』宝島社

こんな子や

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こんな子
出典:Twitterアカウント「クソ女処刑bot」(@KUSOsyokei)

「サブカル女子」を象徴するキーワードとして
ボブ、伊達メガネ、ヘッドフォン、一眼レフ、ヴィレッジヴァンガード、下北沢、高円寺、カフェ、宮崎あおい、加瀬亮、ラーメンズ、マイナーなバンド…
などが挙げられます。
他にもキーワードはたくさんあるのですが
以上のようなものを好む女の子たちは「サブカル女子」と括られ
この言葉でネットを検索すると、彼女たちを揶揄するような書きこみが多くみられます。

それを読んでみると
「自分の趣向に自分で酔ってる」
「自分は個性的である、というアピールがうざい」
など、「サブカル女子」とされる女の子のメンタリティが叩かれています。

どうして彼女たちは、そのような叩かれ方をされてしまうのか。
「自分に酔っている」と言われる原因は何なのか。
私はとても疑問に思っていました。

なぜなら私自身が「サブカル女子」と言われてもおかしくないような人間だからです。笑
見た目も趣味も、好きな場所も。
自分は「サブカル女子」だと自覚してしまうと、自分の一挙手一投足が叩かれる理由なのではとびびってしまい
ついに今冬からベレー帽を封印しました、笑

そもそも、女の子をカテゴライズするための言葉というのは、昔からたくさんあります。
最近では、森ガールとかスイーツ(笑)とか腐女子とか。
私は、そのように、世の中無数にいる女の子たちが、自称しているわけでもないのに他者によって種類分けされていくことや
その種類分けに「こんな子確かにいるいる」「あるある」と思ってしまうことが、不思議だなあとずっと思っていました。
私自身はどうやらその中でも「サブカル女子」枠なのかもしれないと思うと
気になって気になって その自意識過剰さもまたサブカル女子的なのだろうと思うと本当に自意識の無間地獄な訳なのです
その輪廻(!?)から抜け出し、少しでも自分や自分の好きな世界を客観的に捉えたいと思っていたら
卒論のテーマは自然と決まりました。


具体的な内容の話をすると、
論の中身は大きく分けて3つになります。
1「サブカル女子」の実像(叩く側、叩かれる側両方の目線から、ブログや掲示板などの資料を見ます)
2 女性と自意識について(スイーツ(笑)や腐女子のことを取り上げます)
3 叩く側のメンタリティ(インターネット上での他者批判の構造や「サブカル」への対抗意識について)

揶揄される、叩かれるという意味では「スイーツ(笑)」は「サブカル女子」と近いのではと思い、
卒論中では両者のネット上での叩かれ方を比較考察します。

それから「ロキノン」と「サブカル女子」との関係も書きます。
「サブカル女子」の特徴としてほぼ間違いなく挙がるものが「マイナーなバンド好きアピール」。
「ブログやTwitterの自己紹介で好きなバンド名を列挙する」。
そのバンドの多くが「ロッキング・オン・ジャパン」(略してロキノン)という音楽雑誌に掲載されていると言われています。
この「ロキノン」系音楽を好む人たちは「ロキノン系」または揶揄として「ロキノン厨」と呼ばれることがあるのですが
その「ロキノン厨」への叩き方と「サブカル女子」の叩かれ方はとても似ています。
卒論ではそこらへんも見ていきます。

あとは先ほども書いたような
女性をカテゴライズすることや、女性の自意識についても触れなければと思っています。
それから、「叩く」という行為はネット上でのものなので
インターネット世界についても言及する必要があります。
私的個人的にはもっともそこは疎いというか、頭に入れにくい分野なので…
どう読み、考えてまとめればいいものか、苦戦しております。

そんなこんなで
「サブカル女子」をテーマにすると言っても
ただ人間観察ごっこをして喜んだり、ヴィレッジヴァンガード(笑)をふらふらしたりすればいいというものでは
決してないのだと(当たり前なのですが)痛感しました。

「サブカル女子」が叩かれているのを見るのは最初は自分のことを言われているようで
図星過ぎて胸が痛みましたし
こんなにけちょんけちょんに言われていてもなお黒髪ボブヘア伊達メガネに缶バッチまみれで下北を歩く女の子たちが居るのを見ると
「みんないい加減気づいて…!」などと変な仲間意識から思ってしまうこともあったのですが
どこまでも自分の「居心地の良さ」をつらぬくようなサブカル女子の皆さんが
私はやっぱり嫌いになれないなと思っています。

卒論本文で、この「サブカル女子」への愛着をめいいっぱい表わすため
もっともっとシビアに頑張らなくてはなりません…
後悔しないようにしたいです。

ブログは次回から2周目に入ります。
あおいちゃん、よろしくおねがいします。
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