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人生で一番○○だったこと ~若さ故の過ち~

Category : 「人生で一番○○だったこと」
こんばんは!
最近時の流れの早さに若干引き気味な井口です。
気付けば4年生になっているし、4月も終わろうとしているし。
早いこっちゃ。


前回の小原さんの記事を読んで、すごく懐かしい気持ちになりました。
学校へ行こう!も見てたし伊東家の食卓のゲームもやってたな~って。


そんな流れで昔を思い出しながら考えた私のお題は
「人生で一番恥ずかしかったこと」です。

他の方達と比べるとかなり抽象的ですが、まあまあまあ。
読んであげてくださいな。




・・・時は2009年に遡ります。

当時高校生の私は映画研究部に所属していて、放課後に好きな映画を観たり、
放課後に好きな映画を観たり、さらに放課後に好きな映画を観たりしてました。

そしてこんな私ですが、3年生のときは一応部長なんかも務めておりました。
ちなみに当時の正式な部員数は私含めて…2名。(ボソッ)



では、一体何が恥ずかしかったのかと言いますと。

文化祭で自分達のつくった映画が上映されたこと(体育館にて)です。


ん?たいしたことない?いや、あります。


確かに1、2年の時も体育館での上映は行っていました。
が、しかしそれは先輩達の作品。私はちょろっと後ろのほうに出演する程度で、
脚本や演出、編集には一切関わらず。(笑)

そして映画の知識を全く持たない私達の代(兼部の人を合わせると8人くらいいたよ)が
勢いでつくっ(てしまっ)た作品の内容が…

こってこてのラブストーリー。
男女6人のひと夏の恋物語ですってよ…ねえ…ププッ


そしてなんと私の告白シーンがある、のです。
お分かりでしょう、ほとんどこれのせいです。恥ずかしいのは。
正確に言うと告白されるシーンですが。

そのシーンがなんとまた意味不明。

以下、シーンの説明に入りますが、ところどころおかしな部分があると思います。
それらについては一切触れないのでツッコミはご自由に。




場所は海。
私井口が演じる伊井香(いいかおり)と友人T君演じるタイフー。
2人は浜辺に座り、何やら話をしています。



会話が途切れたところで突然タイフーが波打ち際に向かって走り出し、そして叫ぶ。


「俺、おまえのこと、好きだーーーーーーー!!!」



伊井香は立ち上がり、タイフーの元へ走る……後ろ向きで。

2人の背中がピッタリとくっついたところで伊井香も叫ぶ。



「私もーーーーーーー!!!」

そして2人は向かい合い…




…ここで画面が暗転し、問題のシーンは終了です。

いかがでしたか?もう書いてるだけで変な汗出てるんですけど。


さあ、ここからは皆さんの想像力を働かせて下さい。
これが、この痛々しい告白シーンが、体育館で、
友人や家族含む大勢の前で、上映されたんですよ。うわあああああああ。

言わなくても伝わるでしょう、というか言葉では表せません、あの恥ずかしさは。

唯一の救いは観客席から聞こえる小さな笑い。


まあ今となってはいい思い出です。
例の告白シーンを撮るために始発電車で逗子海岸に行ったのも、うん、いい思い出…
脚本ノートとかも残ってます。



努力の結晶。



以上が井口の人生で一番恥ずかしかったことです。
なんだか痛い思い出話になってしまった。

もしこの作品観たい人がいたら全然貸しますので言ってくださいな。
ちなみにタイトルは

「Bubblicious~泡みたいな恋物語2009~」
でーす☆☆☆(開き直り)


それでは!次回は中西さんちのあかねさん!
よろしく~^^^^
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人生で一番◯◯だったこと ~ミーハー~

Category : 「人生で一番○○だったこと」
こんばんはー
今回のお題が、どうしても就活のエントリーシートの設問のように感じてしまう小原です。

このお題に決まってから、いろいろ考えてたんですけど、
なかなか思い浮かばないものですね

後藤くんに、明るい更新を期待されているようなので、
なんとかそちらの方向へ持っていけるよう努力する次第です。笑



ということで考えてみました、私のお題は
「人生で一番テレビに影響を受けたこと」でいきます。

「最近ハマってるアニメなにー?」なんて聞いて、
1週間以内に見終わっちゃう小原ですが、
そんな私は、小学生の頃から、とにかくテレビの影響を受けまくる人間でした。

親が共働きの鍵っ子だったので、
テレビが親代わりになっていたとでも言い訳しておきましょう。←

では以下に小学生時代に影響受けたものを列挙します

小学生時代
・ヘキサゴン
給食の時間に班員で、初代ヘキサゴンのルールに乗っ取ってクイズを出し合って、買った人が牛乳瓶のフタ貰えるとかやってました。笑
まず、牛乳瓶のフタの価値が分かりません。

未成年の主張
学校へ行こうの人気企画。中学生ばっかテレビ出てずるいーってことで、放送委員会時代に、屋上じゃなくて朝礼台で収録してました。

B-RAP HIGH SCHOOL
こちらも学校へ行こう!の企画。中でも、Co.慶應さんの時代を覚える歌は本当タメになりました。時代は今もこの歌を歌わないと順番分かりません←恥

動画見つけたのですが、当時とリズム変わっててちょっと寂しいです。

あんどこゲーム
伊東家の食卓で紹介されたゲーム。あんたがたどこさの歌に合わせて前後左右に飛び跳ねるゲーム。
教室のマス目を利用して、掃除の時間とかに遊んでた記憶があります。

14秒くらいから見ていただければ、当時見てた人は思い出すかも?笑 失敗すると動画のようぶつかります。

金太郎ゲーム
こちらも伊東家!!金太郎の歌に合わせて、左手を2拍子、右手を3拍子で動かすゲーム。
発展していくルールが難しすぎてすぐ飽きました。


あーー懐かしい。笑
すみません、一人で思い出に浸って、いろいろ出てきちゃいました。

では、人生で一番とは何か?
もう本当一瞬で思い浮かびます……

高校1年生の後期の文理選択時に「医龍2」にハマって、臨床工学技士になろうと考えて理系を選択したこと。です

あの失態は忘れもしません。
生物以外は数学も物理も化学も全部できないくせに完全に流されて理系を選択し、
しかもドラマ終了後1ヶ月後には目を覚まして、「やっぱ文系がいいーーー」って騒ぎました。笑

だって、なんかお医者さんと一緒に手術室入って、
患者さんの容態を一緒に見ながら機械を操作する姿かっこよかったんだもん。///

私が文系がいいーと騒いだときには、
理系の志望者数が少なかったために、文系を選んだ人は理系に変えることもできたのですが、数少ない理系を選んだ私を逃してくれるわけありません。笑

明大の付属校だった私は、成績良ければ学部は選べたはずだったのです。
でも理系だと私は赤点取るよなーー
あーーー終わったあああああ。
文学部の演劇学専攻か、心理学科か、国際日本学部行きたかったなあああああああああああ
花のJDライフは……?

そんな気持ちで高校2年生になり……
授業分からないけど、変な女子と、女子に圧倒される男子の中で
普通に楽しく過ごしてました。笑

でもやはり勉強は本当大変で、
物理の先生に講習をお願いして放課後も勉強したり
教育実習に来ていた先生にテスト前にお願いして勉強教えてもらったりしてました。

結果、数学も物理も化学もなんとか赤点を取らず、英語が一番成績悪かったけど(←え)
志望通り国際日本学部に来ることができたとさ。ぱちぱち

付属の理系からは文学部で選べる学部が少なかったので、文には進めませんでしたが、
なんだかんだ、この学部、自分に合ってるよね―
と勝手に考えております。笑

それに、理系だったのでなんだかんだ進路の幅広がったのは、
私にとってすごくいいことでした。

高3の夏休み終わるまで、他大学の医療系への進路とかもなんだかんだ考えられたので。
理系できなくても、理系進むの悪くないですよーーー笑


はい、つまり、
テレビに流されても、人生まで流されるなよって話でした。笑

就活中でまた進路に悩む時期ですが、
周りに流されないで頑張りますー

明るくまとまってますでしょうか?笑
まとまりましたよね?笑
はい……

ということで、次は月曜日に井口さん担当です!!
何を書くか楽しみにしてます!

では、おやすみなさーい


人生で一番○○だったこと ~極寒~

Category : 「人生で一番○○だったこと」
こんばんは、後藤です。

前回の更新で小林さんから「挽回よろしく」というお達しを頂きましたが、あんな名状しがたいゆめにっきの様な物を晒しておいてそれは無いと思いますよ!

実を言うと「夢」という内容は、こちらでも想定していて、小林さんには先を越されてしまいました。
羽化したての蛾が首元でバタバタ飛ぶ夢から、ガンバスターに乗って宇宙怪獣をなぎ倒す夢まで各種揃えていたんですがねえ・・・。


さて、今回のお題人生で一番○○だったことでは、当初の予定を変更して

「人生で一番、心も体も寒かったこと」

をお送りします。






その日は、サークルの新年会が明大前の「福福屋」で行われていました。

1200円で飲み放題!熱燗が水のように安い!等など、学生としては良心的居酒屋で、我がサークルではとても重宝しています。時々、店員が申し訳なさそうにウコンの力を薦めてきます。

無題


新年初の集まりということもあり、なんだか楽しくなってきます。そうして楽しさが頂点に達した時

アナウンス「まもなく・・・き、おお・・・き・・・。終点です。」


これは聞き慣れた中央線のアナウンス!

おかしい!さっきまで福福屋の2階にいて、先輩(♂)に勢い余って接吻をせまり、腐の同期にキャーキャー騒がれていたはず!

ここは、どこ・・・だ・・・?



駅員「終点大月ィ、大月です。お忘れ物、落し物・・・」




BCLCRo_CAAEth2z.jpg

その時、去年の11月に製作した上の作品が頭によぎりました。

自宅から遥か76km。山梨県は大月市だったのです。

当然、終電は無いのですが、酔った私は何故か一瞬、楽観的になり「んー?76kmなら歩いて帰れんじゃね?(泥酔)」などと訳の分からない事を思いつきます。

しかし、夜風にあてられて冷静さを取り戻し、ようやくここが自宅まで徒歩16時間、中央線の果ての果てである事を思い出します。ここで再び絶望です。

そして何より、当時はあの厳冬のまっただ中、私は生命の危機を感じていました。早い話が、寒さで死にそう(推定、零下5度)だったのです。

以下は、その時の私のツイートです

○○@XXXXXXXX (名前は伏せさせていただきます)
1月13日
どこやねんここ・・・@大月

○○@XXXXXXXX
1月13日
深夜の大月じゃあ、インフルを超える生命の危機だあ。


○○@XXXXXXX
1月13日
淋しいぞお、淋しいぞお・・・。なんで山梨県なんだ・・・。


○○@XXXXXXXX
1月13日
誰か、頼む、電話してくれえ・・・。孤独で死ぬでよ・・・。


え?つぶやく余裕あるじゃん?と思われるかも知れませんが、この時私は孤独と低体温で半べそをかいていました。

もっとも、深夜1時に誰も電話など誰もかける訳が無く、反応があっても「コレで体温上げて生き延びろ!」とツイッターのリプライで中々グッドなショタ画像が送られてきます。確かに、上がるけど!上がるけど!

そうして彷徨っていると、ようやくカラオケボックスを見つけ、朝までピーピー泣きながら歌っていました。まともに歌えない桜流しのメロディが心に沁みました。






電車の乗り越しは、これまでも何度となくありました。小平に住んでいた時は、所沢まで乗り越しましたが歩いて帰れました。

それは乗り越しというにはあまりにも遠すぎました。暗く、寂しく、寒く、そして遠距離すぎました。それはまさに絶望だったのです。

みなさん、これからどんなに楽しくなっても中央線だけは乗り越してはいけません。

なにより、見分けもつかないまま、快速と中央特快を間違えるような事だけは絶対にしてはいけません。行き先は(気分的に)プチ八甲田です。


次回の更新は小原さんです。明るい更新を期待しています。

人生で一番○○だったこと ~あの頃は楽しかった~

Category : 「人生で一番○○だったこと」
こんばんは。
前回の原田あいこちゃんの素敵な記事のあとに、書く勇気がありません。小林です。

私は小さい頃は人より読書が好きで、そのおかげで漢字テストが大の得意でした。けれど高校生ぐらいからでしょうか…別にスポーツに目覚めたわけでもなんでもないけれど、読書からすっかり離れてしまい

今ではゼミのプレゼンで漢字が読めなくて、みなさんにツッコまれる日々です。読書は好きなんですけども。これを機に遠藤周作先生の本、手にとってみようかなと思います。


さてさて前置きが長くなりました。
改めまして小林です。

私の人生で一番○○だったこと!は、
『人生で一番やりたい放題だったこと』です。パンパカパーン


今まで生きてきた21年間、「好きなことはやりたいようにやって、嫌いなこともやってると思います。たぶん。」みたいな人生を送っている人間だと思い込んでいます。が!


そんな私が特に、やりたい放題だったなあ…と思うこと。


それは、睡眠中に見る夢の中の話です。


ほら。また小林が変なことを言ってる。(・  ∀  ・)


いやいやいやいや。
もちろん多くの人が寝ている間に夢を見ることがあると思います。でもって、そこで非日常的な出来事を体験すると思います。この段階でも「現実で出来ないことをやりたい放題やっている」状態かもしれません。


私もその中の1人ですが、
私“真の“やりたい放題を夢の中で体験しているんです。

そう、夢を操ることができたのです。
(いや、ホントに!)

ただ今もできるという訳ではなく、
中学校の3年間だけでした。

きっかけはコイツです

『夢のーと』

見てください。この痛々しい表紙。
晒すかどうか迷いましたよ。
もう穴があったら入りたいどころか穴の入り口埋めて誰にも会いたくないですよ。


話は戻りまして!


この『夢のーと』は、先ほどお話した通り、中学校3年間書いていました。

幼稚園の時に見た夢で、覚えている夢をまず書き始め、それから夢を見る度に、日付と夢の内容をありのまま書くようにしていました。

私の夢ってヘンテコな夢ばかりで、嫌気がさしたので記録をつけて解決したいと思ったことがきっかけです。

たとえばこんな感じ。
“6月30日 急遽コンサートに行くことになって、急いで行ったらペンライトを忘れて、誰か貸してくれる人を探してたらオバサン(たぶん鈴木園子だった!)が貸してあげるとか言って貸してくれた。後日、多額の請求が来た。“


ありのまま書くので、大抵の場合、
文章がひどいことになっています。笑


他に、千原ジュニアさんが唐突に出てきたり、漫画「ドラゴンヘッド」の模様みたいに全身黒い点々ができたり。きっとどこか脳の端っこで意識してたんだろうな…というものばかりなんですけどね。


では具体的に夢を操るとはどういうことかと言うと、そのままなのですが、ツラツラと書くよりもわかりやすく箇条書きにしてみました。

・これは夢だ、という自覚がある
・ヘンテコな設定でも受け入れている
・夢の中の自分に命令ができる
・夢から逃げ出すこともできる
・関係のない登場人物を呼ぶことも可
・空を飛ぶことが多い(逃げる手段)
・時々思い通りにならない
・その時はチクショウ!と思いながら夢を続ける


こんな感じです。
RPGみたいなイメージでしょうか。


すでにお気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが、専門的な言葉で言うと、どうやら私は『明晰夢(めいせきむ)』を見ることができたようです。


明晰夢について更に調べると、なんと「明晰夢を見るためには訓練が必要である」ことがわかりました。


けれど明確な訓練方法は、まだわからないのだそう。


しかし、しかしですよ!
「明晰夢を見るためには、その日見た夢をできる限り思い出し記録をつけることを続ける方法が薦められている。」


ふむふむ…えっ


そう。私が暇すぎて始めた『夢のーと』。確実に『夢のーと』のおかげで、明晰夢が見れるようになったんだと確信しています。


そしてノートを付けることをやめてしまった今、夢を操ることなんて一切できません。


だけど辛うじて夢を見ているという自覚があるので、自分の好きなタイミングで夢を終わらせたり、まだこの夢を見ていたいから…って粘ったりはしています。むむ?これって操っているに入るのかしら。


さてさて。ここで私は気づきました。
一体やりたい放題って何をしたの?

そもそもブログのテーマでいうと、ここを書かなければならないのに!!!


でもみなさん考えてみてください。


やりたい放題にできる自分の夢のお話なんて、恥ずかしくてれできませんヨ。だって夢で溢れてるんだから。


これからは睡眠中の夢でなく、
現実世界の夢を成し遂げる方法を見つけなければなりませんね!


お後がよろしいようで(ハァト)


こんなバトンパスでごめんなさい。笑
お次は後藤くんです。

人生で一番○○だったこと   ~おかいものじょうず~

Category : 「人生で一番○○だったこと」
こんばんは。前回のエントリは「目はたいせつに」ということでしたが、
日々ネットサーフィンに次ぐネットサーフィンで目を酷使している原田です。ただの出不精です。


今回は、私の「人生で一番おトクだった買い物」
と、それにまつわるお話をしたいなあと思います。

私の人生で一番おトクだった買い物、それはこちら

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『遠藤周作文学全集』
遠藤周作。このよくわからない作家についての募る思いは、まあ後においといて。

この全集は、全11巻。箱入りの上製本です。これを私は去年の冬、11冊いっきに買いました。
生意気な大人買い。でも、いかんせん安かったのです。
なんと全部で2000円。
ですが、これは元からこの値段だったわけではありません。
古書なのです。
この全集が発売されたのは1975年。
当時の値段は、1冊1500円×11冊=16500円。
1975年における「16500円」の価値が今でいういくらくらいなのかはわかりませんが、
きっと今よりも高かっただろうと思います。
それを考えると、16500円→2000円
という大幅プライスダウンは、私の数少ない大きな買い物の中でも、一番おトクだった。というわけなのです。


私はこの本を、神保町のとある古本屋で、店頭で売り出される前に、つまり他のどのお客さんの目にも留まらぬうちに、買うことができました。
しかも2000円というのは社割で、書店の社長が原田用にテキトーにつけた値段です(なので本来の売値は不明です、笑)

私はそこでバイトをしていたのです。(諸事情により今はやめてしまいました)


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ここは書店の2階、事務所兼書庫。
崩れ落ちそうな本の山に囲まれて、私は在庫管理や本の掃除、梱包をしていました。

ここで古書業界のおもしろエピソードでも話しはじめるのが、ブログの自然な流れかと思います

が、今はそれよりもなによりも遠藤周作の話がしたい。させろ、いや、させてください。
周作先生の作品の話から私の個人的な思い入れまで、ズサーッとお話させていただきます。

遠藤周作は、大正時代に生まれ平成8年に病没した日本の小説家です。
一般的には、安岡章太郎・吉行淳之介らとともに「第三の新人」として
日本の戦後の文学界で活躍した作家として位置付けられていて、『白い人』という作品で芥川賞も受賞しています。
代表作は『海と毒薬』『沈黙』『深い河』など。たくさんの著書があるのですが、お堅い純文学から、週刊誌に掲載されるような軽い娯楽作品、
おもしろおかしいエッセイまで、多様な側面を持っていました。

そんな先生が著作の中で一貫して描き、追究していたのは、「日本人に合ったキリスト教」。

先生は幼いころ母親と共にカトリックの洗礼をうけたクリスチャンで、
自分が望んだわけでもないのに「無理矢理着せられた、ぶかぶかの洋服」であるキリスト教と自分(または西洋的キリスト教と日本人の生まれ持った感性)との間の距離感やすれ違いを「自分に合うように仕立てなおそう」と葛藤し、
西洋のキリスト教の教えにとらわれない、自分なりの「神様」像を求め続けました。

…まあこれだけ聞くとお堅いお堅い。

私が遠藤周作を知ったのは高校生のとき。
友人が勧めてくれて、少しだけ読んでみたのですが、そのときはサッパリ興味がわかず
途中で読むのをやめてしまいました。

ところが、大学生になってから再び読んでみると、雷に撃たれたような衝撃を受け
何事も、出会いはタイミングが肝心なのだなあと実感しました。
それからというもの、周作先生にはぞっこんなのです。(表現が古い)

ちなみに、そのとき読んだ作品は『沈黙』。
日本の鎖国時代に、密航して日本にやってきた西洋の宣教師が
政府の目を避けて潜伏していたキリシタンとともに仲間に裏切られた末に捕えられ、拷問を受け、ついには踏み絵を踏んで棄教してしまうという
遠藤作品の中でもかなり暗い作品です。
こんな、一見救いようのないような物語に私が惹かれてしまった理由はとても私の文章であらわせるものではないのですが
今まで全く関心のなかった、宗教だ神だ、という話が
この作品によってグッと心に迫るようになり
とても不思議な読書体験をしたのでした。

この本に限らず周作先生の作品は「神様」や「キリスト」をどうとらえるか
が主題になっているのですが
先生のすてきなところは
それを直接「キリスト教文学」としてあからさまにとりあげて考えを主張するのではなく
読者にやさしく語りかけ、読者の抱える苦しみにまで、その物語・そこで描くキリストを通して寄り添っているところ。
「弱くてもいいんだよ」と言ってくれているような。先生の自省や迷いもぜんぶ文章にしているような。
そんなところです。

その優しさに強く惹かれ、今も夢中になって読んでいます。

ああ、これで遠藤文学の良さがみなさんに伝わったでしょうか。歯がゆいなあ。
でも、これだけ一人の作家を大好きになって、語りたい!と思えることは
本当にうれしいことです。

一昨年と去年、遠藤周作を記念した文学館(長崎県)に行ったり
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その他にも、おっかけファンのようにゆかりの地をめぐっては
グフフ…と、独りニヤついています

ひとに
「好きな作家はだれ?」と聞かれ、遠藤周作の名前を出すと
地味だな~
とか
暗いな~(苦笑)
とか
・・・オッサンだな(嘲笑)
とか
言われますが
もう慣れました!(満面の笑み)


これからも、全集にとどまることなく
初版本や署名入りの古書などもぐいぐい蒐集して
いい買い物をしていきたいなと思っている次第です。

つぎは小林あおいちゃん。
一転してサワヤカなエントリ、期待してます
では。

人生で一番○○だったこと  〜目はたいせつに〜

Category : 「人生で一番○○だったこと」
こんにちは。第2回目を担当します、石田です。

たしか前回も2番目だった気がしますが、そんなことはどうでもいいのでさっそくテーマの話題に行きましょう。


「人生で一番○○だったこと」ねぇ…

すぐに出てこない(苦笑)

「人生で一番」ってなんだかすごく壮大な感じがしますね。
壮大過ぎて若干腰が引けます(笑)

他の皆さんはどんなことを書くんでしょうか。

どうせだったら2番手じゃなくもっと後の順番にしとけば、みんなどういうふうに書いてるのか偵察出来て色々ネタを盗めたなぁ…なんて若干後悔してるんですが、そんなこと言ってても仕方ないので何とか過去の記憶から絞り出したいと思います。


そんなこんなで数日間悩んで私が行き着いたのは…

「眼鏡」

でした。


私普段から眼鏡をかけてます。一時期コンタクトレンズも利用してましたが今は断然眼鏡派です。眼鏡デビューは確か中学生くらい。それからというもの中学から高校にかけてあれよあれよという間に視力が低下し、その度に眼鏡を変え、その結果、私の部屋には眼鏡が結構たまってしまいました。

というわけで私のテーマは「人生で一番眼鏡が増えたこと」にしたいと思います。

そもそもいちいち買い換えずにレンズだけ取り替えればいいじゃん、って思う方はいらっしゃると思います。でも、(これは眼鏡屋さんによっては違うかもしれないので一概には言えませんが、少なくとも当時私がよく利用していた眼鏡屋さんの料金システムでは)レンズだけ取り替えるよりも新しく作ったほうがモノによっては価格が安かったので、毎回新しく作ってもらっていました。

また私の場合、新しい眼鏡とそれまで使っていた眼鏡を併用することが多かったので、レンズだけ取り替えるってことはあまりしてきませんでした。


中1か中2の時に初めて買ってもらったのはたしかフチなしの青い華奢な眼鏡です。ちょっと力を入れるとすぐに折れちゃいそうな感じの。その頃はまだ日常的にではなく本当に見えない時だけ使ってました。当時は自分の眼鏡を買ってもらえたことにすごく喜びを感じてましたね。だから必要ない時でもケースから出して眺めてたり、レンズが汚れるといちいちきれーに拭いてたりしました(笑)

その後は視力低下の理由の他にも母親が誤って踏んづけて割っちゃったり、眼鏡屋さんで眼鏡のネジを取り替えてもらおうとしたら店員のお兄さんが別の部分を壊しちゃったりとかいろいろあって、最終的に中学時代には4個くらいまで増えました。

それから高校受験の前後でさらに視力低下が加速して、高校時代には年一回くらいのペースで眼鏡を新しくしてました。だから少なくとも3つは確実に増えてます。や、4つかな。いや、5つかもしれない。もうこのへんからはよくわからないです。

その後大学に入って1つは確実に作ってるので、全部でどれくらいなんだろ。10個くらい?
本当は歴代の眼鏡たちをずらりと並べた写真を載せたかったんですが、大半は実家にあるのでとりあえず手元にあった今併用している眼鏡たちの写真を載せます。
(※今週末一度実家に戻るので、その時覚えてたら写真を撮ってここにアップしたいと思います。)


眼鏡。




流石にもうこれ以上は悪くならないだろって自分では思っています。残すは老眼鏡くらいかなって。

よく、「視力どれくらいなの?」って聞かれるんですけど、私自分の視力いちいち覚えてないんですよね。たまに眼科に行って視力検査して「0.いくつ〜」みたいな数値は聞くんだけどすぐに忘れる。

とりあえず視力検査の時によく使うCみたいなのがいっぱい書いてある表の一番上が、裸眼だとよくわからないのは確かです。

なんでこんなに悪くなったんでしょうね。心当たりは結構あるんですけど(苦笑)
でも小学生の時はいつも両目Aだったんですよ。



ここまで書いてきてなんですけど、「私眼鏡にいくらつぎ込んできてんだよ」って、自分自身に対してむかついてきました。

かかった¥を考えると恐ろしいです。ほんと親不孝な娘ですね。両親に申し訳ない…
ごめんなさい。これ以上悪くしないように気をつけます。

万が一自分が親になった時には子どもが眼鏡をかけなくて済むように育てたいです。

とはいったものの、思い出せば私の父親も母親も、父方の祖父母も、母方の祖母も眼鏡っていう…
どうやら石田家は眼鏡率が高いみたいです。私の視力低下って遺伝なのかも(汗) 
でもまぁ本人や親の心がけは大事ですよね。

眼鏡って結構大変なんですよ。冬場マスクするときレンズ曇るし、温泉とか入る時はずしていかなきゃだからすごく視界悪いし、長時間かけてると鼻の付け根あたりに眼鏡の痕つくし、女性だと化粧するとき鏡にむっちゃ近づかないとマスカラとか出来ないし、眼鏡の処方箋とか保証書の管理とかめんどくさいし…

とにかく裸眼の視力がいいってことはすごく幸せなことなんです。
とりあえず私が言いたいのは目を大事にした方がいいよ、ってことです。はい。

なんか最後は変なまとめ方ですが、長々書いてきたしそろそろこのへんでおしまいにしようかと思います。

最後まで読んでくださってありがとうございました。

次回は原田さんでしたか?よろしくお願いします。

それじゃっ。

人生で一番○○だったこと~犬ではなく...??~

Category : 「人生で一番○○だったこと」
みなさんこんにちは!
このブログも長い春休みを頂いていましたが、新学期も始まり、再開したいと思います!!
今年度初回を担当します、佐藤です(^o^)
今回のお題はずばり
「人生で一番○○だったこと」
です!
ん~・・・
書けそうで書けないお題…(笑)
意外と難しいですよね(笑)

今までの記憶を思い起こした結果、

私のお話はズバリ!
「人生で一番ひとつの動物に入れ込んだこと」

です!

過去形ではないんですが…
大目に見てくださいm(__)m

もともと私は犬が大好きで、家で犬を飼うのが夢でした。
世話が大変だからということで今まで熱帯魚、ハムスターで我慢?をしていたのです。

ある時「犬だと散歩をしなくちゃいけないから、猫だったらいいよ。」
という母の一言があり、うちで猫を飼うことになりました。

今まで完全に「犬派」だったのにもかかわらず、飼ったとたんに猫の虜になってしまいました…



私の相棒はこちら!

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あらやだ、かわいい(^^)/
スコティッシュフォールドの男の子で名前は「サン」です!

…このままだとただのペット自慢になってしまうので、話題をうちのサンから猫全般に移したいと思います。 


ペットを飼っている方なら分かってもらえるかと思いますが、飼ってる動物のことって興味持ちますよね??

わたしも猫を飼い始めて猫関連のものや場所に興味を持っていろいろ出かけるようになりました!

そこで昨日行ってきた神社とお寺を2つほど紹介したいと思います!

最初は、立川にある立川水天宮、阿豆佐味天神社です。

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この神社はもともと安産祈願をするために訪れる人が多いのですが、
最近は
「猫返し神社」
として有名になりました。

絵馬にお願い事を書いて、猫の石像を撫でると行方不明になった猫が返ってくると言われています。

境内には蚕影神社(こかげじんじゃ)というものがあります。
昔、この神社周辺、砂川地域は養蚕が盛んだったのですが、その天敵はネズミであるため、猫が守り神とされていたようです。

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猫絵馬がずらーっと並んでいました。
ということで、わたしも愛猫の健康をお祈りしてきました。

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1枚800円です。
ちょっと奮発しました。

これでうちの猫も長生きしてくれることでしょう!



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こちらが猫の石像。
目がくりくりしててかわいいです(*^^)

猫を飼っている人は可愛いペットの健康をお祈りしに行ってみてはいかがでしょうか??


はい、1つ目おわり~。



次のスポットはこちら!
「豪徳寺」です!

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ここは招き猫で有名なお寺です。


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境内の草花も綺麗で、のんびりお散歩したり、写真を撮っている人も結構見られます。

なかなか招き猫がいない…
と思っていたその時!

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いらっしゃいました!!

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どーーーん!

少し見えにくいかもしれませんが、これ全部招き猫なんです(゜o゜)!


以前写真では見ていたものの、いざ目の前にすると迫力があります!
写真に写っているのが全体の右半分で、左にも同じくらいの数の招き猫が座ってます。

アップにするとこんな感じ!

9_20130415173500.jpg

表情がいいですね。
可愛いだけでなく、どこか不思議な雰囲気を醸し出しています。


豪徳寺という名前だけ知っていたという方も多いかもしれませんが、これは猫好きでなくとも行ってみる価値ありです(^O^)



二か所の猫スポット、どうでしたか?
このほかにもまだまだ猫関連のスポットがあると思うので、探してみると面白いかもしれません!
ここまで読んで下さり、ありがとうございました!!

そして、今年度も私たちのブログ「能動的二年間」をよろしくお願いします!

次回はななこちゃんです!
どんなお話が聞けるか楽しみですねっ(^^
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